
協調性ってなんだ。協調性ってゆう言葉だけ聞くといかにも平和的な感じだし、学校教育、仕事場、社会、私たちが普通もしくは一般と呼ぶようなところに、実に重んじている言葉かもしれない。今はこんな私だが、協調性に自分を当てはめて、社会を生きて来たのだと、やっと最近気がついた。表向きの協調性に丸め込まれてやっていたが(なんとかできていたが)、本当はものすごく苦手なことがたくさんあったのだと、実はその度に自分をすり減らしていたこと。に今更気がついた。協調性。その言葉自体は、自己と他者の感情のバランスがとれた状態、ほどよい自意識と自己主張があった上での協調性であって、自己感情を犠牲にした協調性。ではない。ことが大きな違いかもしれない。社会で使われる協調性とゆうのは、多くが後者の協調性が多い場面が多いのではないか。協調性を育むこと、それは、自意識を発せられない奴隷のように、みんなが同じでいることではなく、みんなが違う感情を持っていることを前提によりあっていくことで、自己を犠牲にしては、協調性もなにも、長続きできない。そんなことを考える暮らしの一コマがあった時、たまたま読み始めた黒柳徹子さんの小さいときから考えてきたこと。この本も、なぜ今なのかわからなかったけれど、ふと読んでみたくなって買っておいた本で、まさに読むのは今。だった。本っていつも不思議だと思う。ヒーラーやカウンセラー、メンターより?(ヒーラーカウンセラーメンター全て経験したことは無いので、違うよとゆう意見もあるかもだが)良いタイミングで自分に相応しい情報/気づきが、古い本から、新しい本から時代を超えて、またまた 自分好みの趣味を超えたところから、ふいにやってくるのだから。本がそばにいてくれることで、無知を知り続けて死んでゆくのだろう。


















