
今月の満月詣
勘違いしてて金曜に行ってしまった今回…が 今日は雨なので結果よかったってことになった なるようになってると思うからなるようになった
帰ってから ずっと気にかかていたことに閃き とゆうほどでもない解決策が腑に落ちる 外に外に解決策を見ていた盲点 原因と結果が同じ元の場所にあった
静かな時間がもたらしてくれる 閃きに見せかけた盲点が面舵いっぱいで 頭の中でどんどん透明感増してくる

今月の満月詣
勘違いしてて金曜に行ってしまった今回…が 今日は雨なので結果よかったってことになった なるようになってると思うからなるようになった
帰ってから ずっと気にかかていたことに閃き とゆうほどでもない解決策が腑に落ちる 外に外に解決策を見ていた盲点 原因と結果が同じ元の場所にあった
静かな時間がもたらしてくれる 閃きに見せかけた盲点が面舵いっぱいで 頭の中でどんどん透明感増してくる

数年の時を超え ライ麦の種がライ麦粉となって帰宅
数年前に分けた種から育ててくれた友人 そしてそこから2年熟成されて やっと粉になったらしい
種を分けた数年前は パン作りは適当な私には到底無理!と思っていたのに 数年経って帰ってきた今は うまくできるとかは別話でとにかく自分が食べるパンは作るようになっていて 帰宅したライ麦粉をパンにして その半分をまたまた友人宅へ奉公に出した
それこそ去年だったか一昨年だったかに同じ友人から譲ってもらった唐辛子の種から育てた青唐辛子で今度は私が柚子胡椒作って|柚子胡椒の話はここ|またまた あちらに帰宅していって 行ったり来たりしてることを考えた だからどっちがあげてどっちがもらっているのかすらすでにわからない…ような状況で
そしたら そもそも種 は 自分たち[人間)が]出所ではないことに気づき 大いなる宇宙の思い召されるままに 自分たちが動かされているだけかってことになって あっちにいったりこっちにいったり 形を変えながら 物々交換やってるだけなのに なぜか潤ってるお互い…を思うとそもそも そうゆう仕組みで作られているだけだった…ってことで
ギフトエコノミーが当然の如くとして日々にあることはとても喜び深く 何かしらの形になってギフトされ続ける毎日 もまたまた感慨深い

お隣さんに野菜のお裾分けに行ったら 柚子胡椒作るなら と青ゆずをとらせてもらった
去年豊作だったが今年はたった数個しか実をつけていない青ゆず…に種から育てた唐辛子 なんだか特別な柚子胡椒じゃないの
唐辛子の葉っぱも炒めて食べたらピリッとしてとてもうまい いや…めちゃんこうまい!この葉っぱ の方こそ売ってないだろうし育てた人しか味わえないとても希少なものだ
隣のおばちゃん曰く 昔は何もなかったじゃろが だけん葉っぱやらも無駄なく食べたんよ と 勿体無い 他にない が大きい要素なのだろうけれど それこそ滋養のあるものを多くの人が勿体無いの精神で食していた時代が たった数十年前の話なのだから驚きだ
正直…唐辛子そんなに食べないのに苗ができてしまって 植えておくか…とそれほど手間かけず大きくなっていたが今になって 植えててよかった!と思った 歳を重ね作りきらなくなった柚子胡椒も お隣さんに渡せるし 葉っぱまでも…食べられて…
農作物 またまたその加工品をギフトできる喜びったら なんだか幸福度が飛び抜けているわけで 物物交換時代は さぞかしいい時代だったのでは と想う…

生姜のこと好きなんです しょうがないほど大好きなんです
生姜毎日食べても食べたい 回る寿司屋はガリガリ寿司 ガリガリガリ寿司のペースで一箱無くなってしまうけど何か…
|生姜収穫|の新生姜を甘酢漬けに…思ってたより大きめの瓶にいっぱいになって 実にうれしい 囲み生姜も新聞紙に一個づつ包んで保存
[毎日豆乳チャイを飲むので生姜は欠かせないし 料理にも生姜をよく使う]
新聞紙で一個一個 春先の土に埋めた時を思い出しながら なんだか大切に大切に 包んでいく作業が あーなんかいいなぁこの時間…
ピリリと刺激の効く生姜 育ってる姿はじつに瑞々しく できた形は実に角がなく丸くぽこんぽこんとかわいい そのギャップもまた惹かれる植生だ 来年また生姜栽培に時間を使おう
[1\3は種から芽が出ず…来年は更なる生姜愛で 生姜に埋もれよう]

穂が出るのかちょっと心配だっハッピーヒルもしっかり穂がお目見え
背丈が低く穂もそんなに長くはない[ここだから?今年の環境だから?]ずっしり感と安定感 なかなか穂が出てこなかったので心配していたが…流石!福岡正信氏のハッピーだなと感動的な稲の姿
夏の間1ヶ月雨が降らなかったのもあると思う…分蘖[ぶんけつ]が少ないが 1年目充分な成長とその過程を観察できて最高にいい経験になったと自己満足 収穫まで獣に食べられるないことを祈り あと少しの育みを見届けたい
野稲 陸稲がちゃんと収穫できるようになれば どこに引っ越しても少し安心 田んぼと水のセットで探す物件と 畑のみ物件 だと随分広がりがあるからね 今は 今あるもので最大限の経験に時間を注いでいる

|ほふほふのひよこたち|が大きくなってきた 悲しみの1羽がおそらく猫に喰われ 過保護に過保護に囲って成長見守り
母と子の絆の深さに自分が恥ずかしくなること多々…
羽から順に白毛が生え始め ほふほふからふさふさ変わってゆくのを愛でるのは 何度経験しても 顔がにやけてしまう
産んで 育てて 産んで 育てて その有り様も ひよこもほふほふも ふさふさも親の献身的子育ても 全てが美!なんでそんなに美しいの と嫉妬心すら湧いてくるほどに まばゆし

猫がいる 毎日紛れもなく猫がいる
外も自由に行き来ができるので ふいっといなくなったとしても猫が選ぶならそれは尊重したいと思っているが 今の所 家出したこともなく猫がいる
寝てたり起きてたり やっぱり寝てたり… そして寝てたり…猫は本当に気持ちよさそうに いつも寝ている
何度も何度も目の前の猫を見ていて 何度見てもきゅーぅーんな瞬間 間抜けな動き そんな顔もするのね とか 見ても見ても飽きない とゆうか見れば見るほど新しい生き物 に見える
暑さから一気に肌寒い時に 猫の暖かさぬくもり ふわふわの心地よさは 紛れもなく居ることで伝わってくる
[居る と ある ことが最大のエネルギー]
種がないと命にならないし 薪がないと暖かさにならない 人がいないと日々の営みが進まない だった時代から
[居なくても 無くてもある と思い込んでいるエネルギー]
もはやお金そのもの現物がなくてもあることになっているし その見えないもので人の代わりをしているわけで
ただ不思議なことが いる あるものが大切なのにも関わらず見えない微生物も八百万の神も波動だって 居ると思っている
居ないものないものに価値があるにも関わらず 妖精や天使はいない世界
猫がのっそりと伸びをして起きる そしてまた眠る いつも目で追ってしまうねこ
心動かされている発端はなんだろうとふと考える
動かされている存在が居るか居ないか
存在がなくても感じるか感じないか
存在と感覚が希薄になればなるほどすでに存在していない
今日も猫が存在している 膝の上で 頬の横で 当然の如く眠っている

今年 トマトの苗を山盛り作ってトマト加工を夢見たものの…ほとんど青枯れ病になってしまった…少しだけ生き残ったマイクロトマトとイタリア系のこのトマト 種取してお楽しみを保存だ
トマトを弔ってか バジルは山盛りなんだけどー
少しながらなってくれたこの細長ちゃん 実が重すぎてちっとも自立して立ってられないことが判明 さて どうやって育ってもらうのが正解なの?!イタリアあたりの気候なら立ってられるのだろうか…?来年の課題だわ
パン トマト バジル 宇宙のおかげさまで自作
オイル 小麦 塩 器 黒胡椒 まだ作れていないもの
でも全て手作業で作れないものじゃないことと そもそも全ては宇宙がすでに用意してくれているものってこと
私!が創っているわけじゃないのだー

一昨日 新月詣の日
神社の階段 間隔狭すぎて上を見て歩けない ひたすら無心で[転ばないように注意しながら]足元一歩一歩の注意を向けていくと 気づいたら頂上 そして神様の前に到着
人生の縮小図ですか…
満月詣の日は 草が結構伸びていて 次回は草刈りもしようと思ってたら 今回すっかり綺麗に整備されていて 集落で整備するのは11月のはずだから 誰か が 個人的 にやってくれているんだと思う そのココロ がすでに神業
樹齢300年超えの杉の木が何本かいて 神社の奥に向かって とゆうより むしろその杉トライアングルの中心で 深く息をし 自分を鎮めにいっている感覚もある
ひょんなことがあれば暴れ出してしまいそうな乱暴で やるせない感覚を 結界張って沈めている部分もあって もしかしたらそれを人間味とゆうのかもしれないが その矛盾さを 大きな木の根元で どうにか美化して帰ってくる それが詣
ありがとうも嬉しいも不安も狂気も なだめてもらって とにかく感謝して階段をまた一歩一歩 ゆっくり降りて 4次元世界へおかえりなさい

里芋畑が荒らされて ちょっと凹んだ
おそらく穴熊くんの仕業だろう…
が 山ぎわ 柵も無しで春植えのジャガイモ収穫できたことが奇跡だったのだ と思い直し サクッと気持ち切り替えて間に植えてた生姜救出
雨が少なかったしあんまり期待していなかったので余計に 生姜できてるやん!生姜わっほー!生姜わっほー!
里芋と生姜をあえて山際に植えた理由もあった 湿り気がある場所を好むその2種類にピッタリだったので 選んだその場所 だった
生姜って種も掘り起こしたらまた食べてられて 次の種にもなって サイクルすごすぎなんだけど 標高高めのこの辺りでは 種の越冬が難しく だから高知とか 暖かなところが向いてるのねと納得なんだよね 生姜に限らず さつまいも だったり小麦だったり やっぱり敵地適温適湿度があることが すごぉぉく理解できる
渡り鳥や鯨なんかも 暑さと寒さ それから出産などライフステージで住む場所を移動する生き物もいて 環境に合わせていい場所探したり 自分を動かしているのだね 人間も少しはそうゆう生き方をまだしていて 少なくなった遊牧民も同じく
環境に合わせられなくなってきたら 環境を変えようとするのではなく執着を捨てよう どこかには自分に合う場所が待ってくれているはずだ

ゴーヤはハッとしたら弾けておるよ 残暑もまだじわじわと満喫
緑から黄色 そして赤い種
ゴーヤはパッション!
緑は苦くて 種まわりの赤いところはめちゃんこ甘い
味の振り幅もパッション!
ゴーヤの苦味が苦手な息子[ピーマンは大好きなのに… そして子どもが苦手なゴーヤがなぜか今年はたくさん成っている…]と話していた時 調理法によってはゴーヤ苦くないから食べられるで、と言ったら それって個性がめっちゃ苦味のゴーヤなのに 苦味ないってなんかかわいそう だから それを食べるのもどうかと思う と
ん? ただ嫌ってるわけではなく 苦味のゴーヤ と尊重し恐れているのか…
苦味を嫌ってるけれど 苦味を尊重していて それが ゴーヤだと
ゴーヤにコンパッション!
苦味も許せる大人は
ゴーヤでアセンション!

小5 息子の箴言[しんげん]
『学校ってさ 寄せたがる?一緒にしたがる?やん』
例えば遠足の時に お弁当1人で食べてたら なんとかくん一緒に食べよー(と先生がゆう) 水俣病資料館 1人で回ってたら なんとかくん誰々と一緒に回ろう(と先生がゆう) そもそも1人で食べることが嫌じゃ無いし そうしたいから食べてたし 1人で見たいからそうしているだけ なのに 大体 1人で何かしていたら 寄せたがる 一緒にしたがる
と… 1人になれないのだと なりたくても
それは友達いっぱいが正しいことだし 協力することが正義だから
確かにそうかもしれないけれど そうでもないこともあって 大人になったらそうでない場面がたくさんある
確かに…
私自身考えたこともなかったから これを聞いて 確かに言われてみれば 学校 特に小学校はそうだったわと 1人でいること=さみしいとか格好悪いと思い込んでいた私は 1人でそうゆうことをあえて選ばなかったけれど |働き始めて1人の時間は過ごしてきたがようやく今の歳になって1人のより良い心地よさがわかる|
そもそも1人が悪いことじゃ無い格好も悪く無い息子からしたら そのお誘い は なんだかな…で 学校に行けば そのなんだかなの連続なのだろう… それが学校に行かない理由 だけでは無いと思うが そんな積み重ねで 行きたいと思わないのかな とも思った
ちなみに群暮らしの山羊にだってもちろん個性があって いつも他山羊と一緒にいた方が安心している子もいれば [写真の黒ヤギ 叢雨ちゃん]は一頭である程度動いてお腹を満たしたり 好きなところに行っているから 人間もヤギも 似たような感覚 があるのだなと感じている ひとくくりにできるようで細やかにはやはりできない繊細な部分がある
1人でいる時間 自己を信頼する圧倒的な感覚 は 生きる上で他でもない自分自身の 永遠の大親友だろうよー
10歳の箴言 ちょっとかっこいいと思った

|冬野菜を想いながら|夏野菜満喫 一気にいっぱいより永らくじわじわと ちょっとづついろんな種類がうれしい 毎日小籠いっぱい
用事があって山を降りちょっと街へ そこで 道中の雨 大丈夫でしたか を何度も聞かれる…自分が通った道中は全く大雨じゃなかったので 行くまで その場所が土砂降りだったのか?
これほど畑や大地には 待ってた雨だったし 山羊を放牧できないのであらかじめ刈っておいた草をあげて 潔く出かけるにはもってこいの日になっている私には は?何が? 雨に対しての温度差がすごいことに気づく…
関東の雨 や ネパール の洪水を心配してだろうけれど…たくさん降りすぎるから困っていて 降りすぎないのもかなりの問題だ が 食べるものを全て買っていたら そのあたりはぼんやりとした問題であんまり関係ないことになる が とにかく 降ってないのも大きな異常だったのだから [ちぃっと先に野菜不足で高値になる時がくる]降ってなかった地域に関してはこれほど恵の水はない
水にのみ込まれ 水に吐き出されても 水にすがりついて生きるしかない

自分とゆう存在を無下に扱わってきたなぁと思う
嫌だったこともそうじゃないって思ったことも 面倒臭いやって ほったらかしてきたので 無下に扱ってきたなぁと
だから これからは無礙に広がる感情は大事にし 慈しみをあげたいと思う
今 世界中で多くの意識を秘めた水が感情露わに訴えていて
あるところでは 平和に穏やかに
あるところでは 豪快に激しく
あるところでは物言わず厳しく
本当はそれだけの表情もあって 意思もある水を 自分に対してと同じく 無下に扱ってたなぁと感じてる
全ての命を生かしてくれていた穏やかだった水が怒っている
森林と仲良しな水が それさえもなぎ倒しながら暴れていて
草木花々さえも枯れてゆくまで そっぽ向いてる
毎日 小さな小川から水をもらって野菜にあげてるけど
あーもっと もっと…1滴にもありがとうやなぁって思った
写真を撮られるのはいい気がしないので面と向かっての写真はほぼないが 最近友達がヤギとの写真を撮ってくれていた(この写真は好きなのでうれしい)
近くに小川があって木がって 木陰もあって草地もある この時間がこれからも続くように 人類は慈しみ生きなければならないんだなって
暮らしの時間を意思を持ってそこに割いて 都合のいい時だけそこにいるなんてことはできないんだって
潤いの環境とその中にいられる自分 これ以上の望みはもうない

まだまだ暑いけれど冬野菜の種蒔きは 今から
今日頼めば明日やって来るAmazonのようにはいかないのが野菜の成長
近居のスーパー百姓おばちゃんたちも 密かにそわそわと苗を作り始めている…
のを 察せられるようになったこと スーパーおばちゃんたちのちょっとだけ仲間入りか?!と嬉しく思った
ポット苗作りは家の納屋とか ちょっと日陰とか目立ちにくいところでやってる人が多く 気づきにくい そして 今から冬野菜のたね撒くよーとかゆうわけでもなく ごく自然に 芽吹いたと思ったら 青くなって と思ったら枯れていくように いつのまにか!その状態なのだ
季節の流れに ちょうどの塩梅でたゆたうおばちゃんたち
それはそれはまた美しいのだよ
雨 とか 風 とかちょっとした感じを読み取りながら 種を土に落とす人たち 美しんだよ
残暑がまだ強いし 雨もこの辺りはうんと少ないが 冬野菜たち あなたたちの季節まで ゆっくりじっくり過ごしていってほしい

今季 2回しか入海できなかった 2回も入海できた
夏休みといえば海!島育ちの私は 浮き輪と命板を首にかけて スクール水着でチャリンコ爆漕ぎ!海に向かった12:45
13時から15時までが監視さんありの蒲鉾板に名前を書いた命板をだして遊泳 とにかく黒かった 黒にさらに黒を重ねて漆黒の黒さだった
今 山の中 標高650mに住みながら車とゆう便利くんのおかげで 0mの海にも行けるありがたさ 朝起きたら山深く 2時間弱でこの景色なんだから そもそも手に入れている贅沢があると思った
朝一は他にまだ泳ぐ人も居なく 凪の海で 海水も澄んでいてとても綺麗 あーなんて なんて 美しいのだ
海はいつも恋しい 海まで30分の山の中に住めたらどんなにいいだろうと思っているが はて まだまだ?祈りが足りないのか叶わない
夏休み 誰と 海でどうやって遊んでいたか なんて 何にも思い出せない が とにかく 毎日毎日 毎日海に入って なんだか気分が良かった 不安も不平もなく 毎日毎日海に入って ただご機嫌だった
考えもなく 選ぶことも 迷うこともなく毎日海に直行していた その頃最大の自分の役割をこなしていたと思う
あれがこうで これが先で こっちの方が量が多くて安くて そんな大人の細かさなんて ただのさざなみ 押しては引いてゆく大きな海の流れ そのものを捕まえることはできない そして減ったようでまた戻って来るその大きな営みを子供ながら 子供だから 大人よりもよく知っていたんだなと 今なら思う
私は さざなみいっぱいの大人だから まだ海にもう1回くらい この暑さなら行けるんちゃう と往生際も悪い
子供の頃の迷いなきご機嫌漆黒の爽快さは 今頃 どこいらへんを浮遊しているのだろうか…

5月に思い立って せっせと始めた畑開墾 3ヶ月経った今 意識思考が現実化物質化 うろうろすれば出てくる野菜たち
とはいえ3ヶ月後ばかりを夢見て毎日過ごしたわけでもなくて その日その日が充実していたそのおまけが食べられる野菜になっていて 今日を犠牲に明日のことを思っていたわけじゃない
だから かぼちゃと思ってたらきゅうりで きゅうりと思ってたらマクワウリで マクワウリと思ってたら謎のメロン?がなってる…たくさん植えたはずのトマトはほぼ全滅なのに 稲の隙間から突如でてきたこぼれたねトマトは生き生きとしていて 何があっても枯れそうにはない
完全たる思い通りになっていない 神様のちゃめっ気ぷりもなんだかおまけのおまけでお得気分といえば そう思う
3ヶ月後にやってくる喜びはなんだろうか…

珈琲豆を切らしていた
焙煎しようと思うが暑さもあって気乗りせず スーパーに行った時に いっそここで買っちゃうかとも思うも 幾度となく買ってやっぱりまずいを経験していて そろそろそのバカなことをするのはやめようと 思いとどまるケチな自分… |いや…使うところはめちゃ厳選して使いたい|
友人とたまたま入った喫茶店で待ちに待ったアイスコーヒー!と頼んだら コンビニの方が安くて美味しいやん![と心の中で思って]で それで500円…もっと価値あるものが世の中にはちゃんとあるにも関わらず 物まみれで情報平均で紙幣価格だけが釣り上げっていく便乗社会… うんざりやー
あーもういよいよ 自分で焙煎するかー…
自家焙煎とかかっちょいーようで 自家がとびきり美味しいわけでもなく 結果 安上がり 鮮度もいいってだけなので そこそこにうまく気兼ねしない こだわり皆無の自家焙煎
とはいえ そこそこうまい んだから 家でいっか となる
洒落た空間…に身を置く自分(ばばーはばばー)も恥ずかしいような…心ときめくこともすでになく 家がいっか となる
家がやはりすきだ

待望の雨 雨が 雨が 雨が 降ってきたー
カッパ踊りで覚醒だー
梅雨明けしてから本当に雨が降っていなくて 昨夜ほど嬉しい雨は未だかつてない
雨を見ながら 涙が出てきて 狂気にもなるような歓喜が湧き上がってきた
人力で及ばない何かを待ち祈っていた畑人は皆同じ想いで空を見上げて 心の底からありがとーーって思った と思う
雨ありがとーって思う気持ちのエネルギーが沸き起こって 今日の晴れはいつもになくご機嫌に太陽さんが光を降り注いでくれているよう な気 さえする 今日は太陽さんありがとー
神頼み的にその 人力及ばない崇高な何かで|生きる|が左右されていた時代ほど そう祈って願っていたはずで その祈りのエネルギーが各地多所で渦巻き起こっていたのだと思う
だとしたら 今よりうんと命からの命を乞うためのエネルギーが生み出され それに応え共鳴していくエネルギーが生まれ それがまた放散され…そのエネルギーも巡っていたのだね
雨も太陽もありがとー
無限の求愛ありがとー∞