
稲刈りの時期にはアケビ なんとなくそうゆう記憶が恋しくさせる
食べたいなぁと思って木の枝の間を見上げるももなかなか見つからず でも食べたいなぁと何日か思っていたら…
家の前に ぽこん と1個
ん?探し物は近くにあったのか?と上を見上げるもアケビの蔓なし 傘子地蔵さんかー

稲刈りの時期にはアケビ なんとなくそうゆう記憶が恋しくさせる
食べたいなぁと思って木の枝の間を見上げるももなかなか見つからず でも食べたいなぁと何日か思っていたら…
家の前に ぽこん と1個
ん?探し物は近くにあったのか?と上を見上げるもアケビの蔓なし 傘子地蔵さんかー

石なし森森もりっと豊作 わっほー
スパイスとお砂糖と絡み合い 芳醇な香りと酸味 なんでこんなに美味しいのにみなさん食べなくなったのか…
昔は梨といえば石梨だったはず[らしい]が いつの間にか甘くて柔らかい梨にスターの座を奪われ 今や希少な品種に 田舎でも邪魔な木扱いされて切られてしまって どうにか後世の若者にもこの味を味わってほしい 残ってほしいと願う
市場に出回らないものこそ 量産できないおいしいものが多い
加工品 素材限らず そうゆう果物や 野菜 家庭の飯とおやつこそ 日々の日常にさりげなく居るものの 偏愛の贅沢の極みだと思う

枝豆ごはん うまい
真ん中にばさっと入れたはずの大豆が炊き上がったら陰陽模様
最近毎日食べてる枝豆ごはん 土から直送だからこそのこの旨みなのか
とにかくうまい
乾燥までした大豆が最終地点なんだが 去年はそこまでの間に猪に食べられてしまった多く…ケチったせい…ちっぽけなその態度を今年は改め
もう勿体ぶらずお裾分けも自分でも森森食す
もらってくれた人にも自分にも 子供2人にも…浸透してゆく何とも代替できない大宇宙の想い召すママパワー✴︎あげてうれしい 食べてうれしい
いっぱい大地のあれこれを感じた小粒のみどりが私の中に滲んでゆく絵の具のように広がってゆく

なんでもないいつもの茗荷 ただ これはなんでもある茗荷
なんでもある茗荷になったには物語があって 去年の春に引っ越してきた時に一緒に越してきた茗荷なのだ|前の家にもまたまた移植して増えていた茗荷たち|
何度も下見に来ている時に茗荷がないなと思ったので わざわざ前の家から 今掘り上げるべきではない時に ちょっと無理して移植したから 1年経った春先に見当たらない茗荷にすごーぉく悪いことしたなぁと思っていた
その後 山極の影部分を放置していて ヤギのごはん用にその藪を剪定したり 鎌で切ったりした昨日 あれ!あれ!もしや!とかき分けたら 移植したほとんどの茗荷の葉っぱが大きくなり 鬱蒼とした草木の下にいくつかの 柔らかな乳白色色の花が咲いているではないか…
なんと 生きていた…
薮横で 感極まるが 分かちあえる人もいなく ただ自分だけの喜びだったのだが あーよかった ほんとよかった
思わぬ発見の茗荷を採取しながら 本当は育てることで 制圧したいわけでも たくさん取りたいわけでもなく できるだけ多くの植生 動物 生き物たちが自生し そこに仲良く とゆうか その世界にちょっとだけ入れて欲しいだけなのだなぁとしみじみ思う
もう安心 きっとその山の斜面はいつか茗荷斜面になる わたしがここにいなくなっても 茗荷が生きる

ヤギのことも 猫のことも 烏骨鶏のことも 気にかけてくれる人たちがいて 草をわざわざ刈って来てくれたり 猫餌を買ってくれたり
私が好きな人たちは私の大切な仲間を大事にしてくれる
私と出かけているのに 子供にっておやつを買ってくれる 一緒に来ると思ってと言って たくさんの手作りおやつを焼いておいてくれる
大切だなって思う関係の人は 私のことも子供のことも大切に思ってくれる
わたしはそんな風に思って生きてこなかったから 驚くことが多いこの頃
で思う
神様みたいだなぁと
神様って崇高な存在な感じがするから そのお友達たちも充分神様なのではと そしたらすでにここは極楽浄土なの…?
日々の 不甲斐なく堕落 それでもってくだらない矛盾したことに魂丸め込まれ 嫌なことを多く繰り返し思い出す日々なんだが ふと自分のそのとんでもなく暗闇のすぐ横に真っ向たる輝きが たるに余すほど注がれていて 一歩どころか半歩横に そもそも得ることしかない世界に戻ってゆく光 あるところでは共有する価値なくとも共に生きていることに ほんの少しは前向きに思える光
生きるのだらしなくしんどくて しょうがなく生きてても光が眩い

卵があったらうれしい
烏骨鶏が来て何年も経つけどいまだに初めての時と同じだけうれしい
1個の時期もあるしたまたま5個くらいの時もある もちろんない時期もある 烏骨鶏が生きてくれているだけで もらえるもの ではなく要は横取りなんだけど ありがとうありがとう 本当にありがとうと言いながら くすねてくる
鳥は1羽が毎日何個も卵を産んで 牛は出産とか関係なくずっとお乳を出しているんじゃないの?!と言ってた 都会育ちの70代の方がいた
… え … 驚愕したが 私だって知らないこともある 無知ゆえに無下に扱っていることも多々ある でも怖かった よく知らなくても 溢れかえるほど ちょっとぐらいいいでしょ と粗末にするほど あるものじゃない感覚は幼い時も持ち合わせていたから その軽く見積もっている[命のかけら]に対する態度そのものが 恐怖だった
品種改良によって毎日卵を産むようにされている鳥もあるが それは人間でゆうなら毎日生理のような感じ さらには産んでも育てないときたら考え深いことだ
産んで 放卵しながら産んで産み終わり 子育て しばらくしたら また産み始めるから 烏骨鶏でゆうなら2ヶ月に10個くらい スーパーに出回っている卵の親はおそらく年間300個くらい産むらしい
毎日卵は食べるもの とか 卵を毎日食べると健康 朝も夜も卵料理とか思ってる人がいる限り 鳥は寿命を縮めながら放卵とゆう記憶すら抹消されて 産み続けるだけなのだ
だからと言って みんな鳥と一緒に暮らせるわけじゃないから とにかく 目の前にある食べられるものに 敬意を示し 無駄にせず 何かが命を捧げて自分の前の 食べられる物 としてある事 お金と交換してきた高い安いじゃないところに意識を持ちたい
卵はひよこ そして1羽分の命
これからも続くかもしれなかった壮大なエネルギーのひとかけら…
今日も烏骨鶏さん卵ありがとう

ほぼ毎日歩くこの道 ここに迷い込ませてくれてありがとう ありがとうを繰り返しながらの温泉からの 帰り道
命あるうちのほんのわずかな時間かもしれないけれど この環境で暮らすことができて本当に幸運だと思う
倒木も 枝や落ち葉の掃除も 誰かの持ち物の山から落ちてくるものだけど その誰かさんのせいにするわけでもなく自分ゴトとして感じられることが 境界線なき道を歩けてうれしい
楽しみだと言ってヨガにくる方の中でこの道沿いにある数々の石像に話しかけながら運転してくるよとゆう方がいて 今日も来れましたよ ありがとうございますってゆうんだって 通り道から大切に思ってくれているんだなぁと感心した
私はここに初めてきた時に 草と葉っぱに埋もれていた石像さんの頭を綺麗にしたくなって わざわざ車を降りたっけ なんだか不思議な想いで そんなことしたことのない私が の行動に自分でも驚いた
だからあれから通るたびに何かしら話しかけたり思いかけたり すっかり オトモダチ だ[と一方的に思っている]
守り蔵さんたちは古く 欠けたり 首ごと落っこちたりして 痛々しい姿でも微笑んでいる 88箇所の石仏 そして空海が訪れたらしいこの場所が守られているのかどうか…は わからないが 地域の方からも なんかいい場所として認識されているのは 会話の中で伝わってくる
そして来れた人たちは[そもそも私を伝ってくる人は少ないが]とても魅了されて帰ってゆく なんだか不思議な場所なのだ
暑い時も寒い時も 晴れの日も 雨の日も毎日 とにかく静寂で聡明
どっぷりここのすべてに癒着されよう

今年は栗が少ないのと早めに落ちてきたので 食べることはできないかと思っていたが 少しだけ手元にやってきた
いっぱいあったら今年こそモンブランを作ってみようと Amazonのカートにモンブラン用の絞り口を買うか買わないか悩み中だった…3個の口で300円くらいなんだけど…が今日諦めて削除
渋皮煮を作らないのは何年振りだろうか とゆうくらい栗に恵まれていた毎年だったが なる年 ならない年 木にも周期だって 気候からの影響だってあって 恵はいつでもたくさん落ちて来ない が…
栗ご飯1-2回分 食べられただけでも 秋うれしい
塩しっかり目 渋皮付きの栗ご飯…とろけるねぇ…

葉っぱが欲しくて 期待しないで抜いたにんじんがにんじんだった!
とゆうのも なかなかにんじんさんは手強くて うまく育ってくれない
スーパーに並ぶあの橙色のごってりとした人参にはなかなかならないのだよ プロはすごい だから にんじんの種撒いた自分でも地下の橙色を信じてないのわけで 抜いてびっくり人参やんか! と
それでも懲りずに撒いてるのは 葉っぱも美味しいから むしろ売ってないところも美味だから なのだけど
あれだけ色々栽培する近所のおばちゃん達もあんまり人参作ってるひとがいないのは 難しいからなのかな…
人参らしいにんじん それこそありがたい形と色味だから 人参ってこれって当たり前と思わずに 奇跡のにんじん[野菜全部で人参だけじゃないけど]と思って食そう

今月の満月詣
勘違いしてて金曜に行ってしまった今回…が 今日は雨なので結果よかったってことになった なるようになってると思うからなるようになった
帰ってから ずっと気にかかていたことに閃き とゆうほどでもない解決策が腑に落ちる 外に外に解決策を見ていた盲点 原因と結果が同じ元の場所にあった
静かな時間がもたらしてくれる 閃きに見せかけた盲点が面舵いっぱいで 頭の中でどんどん透明感増してくる

数年の時を超え ライ麦の種がライ麦粉となって帰宅
数年前に分けた種から育ててくれた友人 そしてそこから2年熟成されて やっと粉になったらしい
種を分けた数年前は パン作りは適当な私には到底無理!と思っていたのに 数年経って帰ってきた今は うまくできるとかは別話でとにかく自分が食べるパンは作るようになっていて 帰宅したライ麦粉をパンにして その半分をまたまた友人宅へ奉公に出した
それこそ去年だったか一昨年だったかに同じ友人から譲ってもらった唐辛子の種から育てた青唐辛子で今度は私が柚子胡椒作って|柚子胡椒の話はここ|またまた あちらに帰宅していって 行ったり来たりしてることを考えた だからどっちがあげてどっちがもらっているのかすらすでにわからない…ような状況で
そしたら そもそも種 は 自分たち[人間)が]出所ではないことに気づき 大いなる宇宙の思い召されるままに 自分たちが動かされているだけかってことになって あっちにいったりこっちにいったり 形を変えながら 物々交換やってるだけなのに なぜか潤ってるお互い…を思うとそもそも そうゆう仕組みで作られているだけだった…ってことで
ギフトエコノミーが当然の如くとして日々にあることはとても喜び深く 何かしらの形になってギフトされ続ける毎日 もまたまた感慨深い

お隣さんに野菜のお裾分けに行ったら 柚子胡椒作るなら と青ゆずをとらせてもらった
去年豊作だったが今年はたった数個しか実をつけていない青ゆず…に種から育てた唐辛子 なんだか特別な柚子胡椒じゃないの
唐辛子の葉っぱも炒めて食べたらピリッとしてとてもうまい いや…めちゃんこうまい!この葉っぱ の方こそ売ってないだろうし育てた人しか味わえないとても希少なものだ
隣のおばちゃん曰く 昔は何もなかったじゃろが だけん葉っぱやらも無駄なく食べたんよ と 勿体無い 他にない が大きい要素なのだろうけれど それこそ滋養のあるものを多くの人が勿体無いの精神で食していた時代が たった数十年前の話なのだから驚きだ
正直…唐辛子そんなに食べないのに苗ができてしまって 植えておくか…とそれほど手間かけず大きくなっていたが今になって 植えててよかった!と思った 歳を重ね作りきらなくなった柚子胡椒も お隣さんに渡せるし 葉っぱまでも…食べられて…
農作物 またまたその加工品をギフトできる喜びったら なんだか幸福度が飛び抜けているわけで 物物交換時代は さぞかしいい時代だったのでは と想う…

生姜のこと好きなんです しょうがないほど大好きなんです
生姜毎日食べても食べたい 回る寿司屋はガリガリ寿司 ガリガリガリ寿司のペースで一箱無くなってしまうけど何か…
|生姜収穫|の新生姜を甘酢漬けに…思ってたより大きめの瓶にいっぱいになって 実にうれしい 囲み生姜も新聞紙に一個づつ包んで保存
[毎日豆乳チャイを飲むので生姜は欠かせないし 料理にも生姜をよく使う]
新聞紙で一個一個 春先の土に埋めた時を思い出しながら なんだか大切に大切に 包んでいく作業が あーなんかいいなぁこの時間…
ピリリと刺激の効く生姜 育ってる姿はじつに瑞々しく できた形は実に角がなく丸くぽこんぽこんとかわいい そのギャップもまた惹かれる植生だ 来年また生姜栽培に時間を使おう
[1\3は種から芽が出ず…来年は更なる生姜愛で 生姜に埋もれよう]

穂が出るのかちょっと心配だっハッピーヒルもしっかり穂がお目見え
背丈が低く穂もそんなに長くはない[ここだから?今年の環境だから?]ずっしり感と安定感 なかなか穂が出てこなかったので心配していたが…流石!福岡正信氏のハッピーだなと感動的な稲の姿
夏の間1ヶ月雨が降らなかったのもあると思う…分蘖[ぶんけつ]が少ないが 1年目充分な成長とその過程を観察できて最高にいい経験になったと自己満足 収穫まで獣に食べられるないことを祈り あと少しの育みを見届けたい
野稲 陸稲がちゃんと収穫できるようになれば どこに引っ越しても少し安心 田んぼと水のセットで探す物件と 畑のみ物件 だと随分広がりがあるからね 今は 今あるもので最大限の経験に時間を注いでいる

|ほふほふのひよこたち|が大きくなってきた 悲しみの1羽がおそらく猫に喰われ 過保護に過保護に囲って成長見守り
母と子の絆の深さに自分が恥ずかしくなること多々…
羽から順に白毛が生え始め ほふほふからふさふさ変わってゆくのを愛でるのは 何度経験しても 顔がにやけてしまう
産んで 育てて 産んで 育てて その有り様も ひよこもほふほふも ふさふさも親の献身的子育ても 全てが美!なんでそんなに美しいの と嫉妬心すら湧いてくるほどに まばゆし

猫がいる 毎日紛れもなく猫がいる
外も自由に行き来ができるので ふいっといなくなったとしても猫が選ぶならそれは尊重したいと思っているが 今の所 家出したこともなく猫がいる
寝てたり起きてたり やっぱり寝てたり… そして寝てたり…猫は本当に気持ちよさそうに いつも寝ている
何度も何度も目の前の猫を見ていて 何度見てもきゅーぅーんな瞬間 間抜けな動き そんな顔もするのね とか 見ても見ても飽きない とゆうか見れば見るほど新しい生き物 に見える
暑さから一気に肌寒い時に 猫の暖かさぬくもり ふわふわの心地よさは 紛れもなく居ることで伝わってくる
[居る と ある ことが最大のエネルギー]
種がないと命にならないし 薪がないと暖かさにならない 人がいないと日々の営みが進まない だった時代から
[居なくても 無くてもある と思い込んでいるエネルギー]
もはやお金そのもの現物がなくてもあることになっているし その見えないもので人の代わりをしているわけで
ただ不思議なことが いる あるものが大切なのにも関わらず見えない微生物も八百万の神も波動だって 居ると思っている
居ないものないものに価値があるにも関わらず 妖精や天使はいない世界
猫がのっそりと伸びをして起きる そしてまた眠る いつも目で追ってしまうねこ
心動かされている発端はなんだろうとふと考える
動かされている存在が居るか居ないか
存在がなくても感じるか感じないか
存在と感覚が希薄になればなるほどすでに存在していない
今日も猫が存在している 膝の上で 頬の横で 当然の如く眠っている

今年 トマトの苗を山盛り作ってトマト加工を夢見たものの…ほとんど青枯れ病になってしまった…少しだけ生き残ったマイクロトマトとイタリア系のこのトマト 種取してお楽しみを保存だ
トマトを弔ってか バジルは山盛りなんだけどー
少しながらなってくれたこの細長ちゃん 実が重すぎてちっとも自立して立ってられないことが判明 さて どうやって育ってもらうのが正解なの?!イタリアあたりの気候なら立ってられるのだろうか…?来年の課題だわ
パン トマト バジル 宇宙のおかげさまで自作
オイル 小麦 塩 器 黒胡椒 まだ作れていないもの
でも全て手作業で作れないものじゃないことと そもそも全ては宇宙がすでに用意してくれているものってこと
私!が創っているわけじゃないのだー

一昨日 新月詣の日
神社の階段 間隔狭すぎて上を見て歩けない ひたすら無心で[転ばないように注意しながら]足元一歩一歩の注意を向けていくと 気づいたら頂上 そして神様の前に到着
人生の縮小図ですか…
満月詣の日は 草が結構伸びていて 次回は草刈りもしようと思ってたら 今回すっかり綺麗に整備されていて 集落で整備するのは11月のはずだから 誰か が 個人的 にやってくれているんだと思う そのココロ がすでに神業
樹齢300年超えの杉の木が何本かいて 神社の奥に向かって とゆうより むしろその杉トライアングルの中心で 深く息をし 自分を鎮めにいっている感覚もある
ひょんなことがあれば暴れ出してしまいそうな乱暴で やるせない感覚を 結界張って沈めている部分もあって もしかしたらそれを人間味とゆうのかもしれないが その矛盾さを 大きな木の根元で どうにか美化して帰ってくる それが詣
ありがとうも嬉しいも不安も狂気も なだめてもらって とにかく感謝して階段をまた一歩一歩 ゆっくり降りて 4次元世界へおかえりなさい

里芋畑が荒らされて ちょっと凹んだ
おそらく穴熊くんの仕業だろう…
が 山ぎわ 柵も無しで春植えのジャガイモ収穫できたことが奇跡だったのだ と思い直し サクッと気持ち切り替えて間に植えてた生姜救出
雨が少なかったしあんまり期待していなかったので余計に 生姜できてるやん!生姜わっほー!生姜わっほー!
里芋と生姜をあえて山際に植えた理由もあった 湿り気がある場所を好むその2種類にピッタリだったので 選んだその場所 だった
生姜って種も掘り起こしたらまた食べてられて 次の種にもなって サイクルすごすぎなんだけど 標高高めのこの辺りでは 種の越冬が難しく だから高知とか 暖かなところが向いてるのねと納得なんだよね 生姜に限らず さつまいも だったり小麦だったり やっぱり敵地適温適湿度があることが すごぉぉく理解できる
渡り鳥や鯨なんかも 暑さと寒さ それから出産などライフステージで住む場所を移動する生き物もいて 環境に合わせていい場所探したり 自分を動かしているのだね 人間も少しはそうゆう生き方をまだしていて 少なくなった遊牧民も同じく
環境に合わせられなくなってきたら 環境を変えようとするのではなく執着を捨てよう どこかには自分に合う場所が待ってくれているはずだ

ゴーヤはハッとしたら弾けておるよ 残暑もまだじわじわと満喫
緑から黄色 そして赤い種
ゴーヤはパッション!
緑は苦くて 種まわりの赤いところはめちゃんこ甘い
味の振り幅もパッション!
ゴーヤの苦味が苦手な息子[ピーマンは大好きなのに… そして子どもが苦手なゴーヤがなぜか今年はたくさん成っている…]と話していた時 調理法によってはゴーヤ苦くないから食べられるで、と言ったら それって個性がめっちゃ苦味のゴーヤなのに 苦味ないってなんかかわいそう だから それを食べるのもどうかと思う と
ん? ただ嫌ってるわけではなく 苦味のゴーヤ と尊重し恐れているのか…
苦味を嫌ってるけれど 苦味を尊重していて それが ゴーヤだと
ゴーヤにコンパッション!
苦味も許せる大人は
ゴーヤでアセンション!