稲刈り\2022

今年は9月29日からぼちぼち始めた稲刈り。もちろん、手刈りでざくざく。根元しっかり自分の目で観れる手刈りです。手刈りといっても、雨も挟んだり、熟れるところをまったりで、全て刈り終えたのは、あしかけ2週間ほどですが、刈取だけで見ると一反半なので、実働4日あれば刈り取れます。刈り始めた頃はまだ陽射しが強く、じとっと汗をかくほど暑かったのに、脱穀が終わる頃には鼻に入る空気がツーンとするほど冷え込んで、季節の変わり目の緊張感、凛とした空気がとても気持ちよく作業できました。今年は、分けつが少ないところがあったのと、最後の最後の草取りを、そんなにないしもういいかな、とサボったツケが、稲の足元の稗に繋がって、刈る時の仕分けに時間を取られてしまいました。草取り、やっぱり大切。手刈りだからこそ、最後まで選別できる良さもあるけれど、、来年は、初心忘れず改めてやらなくては。今年はスーパーウーマンがお手伝いに来てくれて、素晴らしく手際良く終えた稲刈りでした(ありがとう!山神様)収穫できる喜びと、案外楽しい刈り取り作業が終わってしまう虚しさ。たわわに黄金色だった場所がぽっかり空虚になっていく感覚。毎年不思議な気持ちで、今年も稲作させてもらってありがとう、ありがとう。ありがとう。べっちゃり土がついても、手のひらの皮膚が乾燥してしょぼしょぼになっても、そんなこと、何にも気にならないくらい、体を動かせば動かすほど満たされる時間を過ごせたこと。やっぱり、ありがとう。だけ。田舎の人が田んぼをして、米を作っているのですが、作り手が減っていって、今やっている人たちはたくさんの田んぼを抱えています。が。その田舎の作っているじーちゃん、ばーちゃんはもう体力的に限界です。できなくなると、抱えてた大きな面積を作れなくなります。じゃぁ、これから誰が米を作っていくのか。日本の大きな課題…今から課題にするには遅すぎる課題だなぁ、と、感じています。お金はそのまま食べられないけど、お米はお金に代えなくても食べられる。ただ。それだけ。

狼が来ても出てはいけませんよ

山羊も引き戸が開けられるようになって、家の中が気になってしょうがないようです。気づくと家の中にいるんですけど。童話の世界に、狼が来ても出てはいけませんよ、と言って出かけたものの、帰宅したら、狼に食べられしまった子供達を助け出して、石を詰めてお腹を縫い合わせた、伝説の山羊母がいましたが、そろそろ家に帰ってきたら、エプロンつけてご飯でも作ってくれるかな。

石梨

5センチほどの小ぶりなこの子。ある山奥の集落で石梨。と呼ばれております。原種の梨だとも。

原種の梨ってどんなどろう、と調べてみたら…

日本に自生するナシ属は3種。ミチノクナシ、マメナシ、ヤマナシ\これが石梨\。だそう。

ミチノクナシは岩手県の山地に自生していて、イワテヤマナシとも呼ばれる。アオナシはこのミチノクナシの変種という扱いになっていて群馬、長野、山梨、静岡に自生とある。マメナシは愛知、三重、岐阜にまれに自生。この2種は日本の野生植物だが、最後のヤマナシは原産が中国中南部で日本には有史以前に渡来、本州、四国、九州で野生化していて、今食用にしているナシ(ニホンナシ)は、このヤマナシを栽培化したものと考えられている/参考資料より/

そもそも、この時期にその集落に行くと気になっていて、こっそり食べたのがきっかけで、あれ。これ味が濃くてなんか好き。行くたびにこっそり食べていました。が、あんまりこそこそしてもな、とゆうところで、あれって採って食べないの?と聞いたら、昔は食べていたけれど、あんまり美味しくないから、と地元の方々。で、そこに移住してきた人がコンポートにしたら、なんと美味しいことか。となり、たわわになった今年は、あの子にも教えてやれってことで、わたしにも採っていいよと声がかかりました。

生で食べる食感はじゃりっとした感じで、味は酸っぱ目、甘く食味がいい改良された梨、とはちょっと違うけれど、ギュゥーっと詰まったものがあって、やっぱり好き。シナモン、クローブ、カルダモン効いたコンポート美味だけど、食事としても美味しい食べ方ないかと模索中です。

そそのかされてはないけれど、エヴァが禁断の果実を食べてしまった気持ちは充分に理解できるなぁと、儚い命も受け入れて、梨加工を楽しんでいます。

山羊が出産しました

山羊たちがうちに来たのが6月末。そして、8月26日、たった5日前に双子ちゃん出産。と、山羊の、ヤの字も知らない私たちが、山羊と暮らしの共同隊になり、山羊先輩\生きる先輩として、生き様で生き方を教えてもらっています。山羊は5ヶ月ほどが妊婦期間らしいのですが、いつ妊娠したのかもわからないので、日に日に大きくなっていくお腹を横目に、いつ産まれるんだろうか、、いや、もしかして産まれないのか?そんな毎日でしたが、その日は突然やってきたのでした。

早朝ヨガから帰宅した10時過ぎ、妊婦山羊\梅さん、メーメー鳴くわけでも、そわそわ落ち着きがないわけでもないのですが、私がなんか違う感覚を覚えたので、今日は気にしておこう、と思い、ちらちら見ながらできる籾摺りを機械でしていて、ちらちら見ていたにもかかわらず、気づいたらすでに一頭。立っている。え?!と思ったら、ずるっと2頭めが出てきて、ぼとっ。大地に落ちた。12時半ごろ出生。山羊双子。

!!!!!!

産後すぐなので、嫌がるかもしれないし、伺いをたてて、見せてもらえないでしょうか、と想いを伝えて、すぐ近くに入れてもらえ、見守ること数分。たった数分の間に、母は体液は舐め上げ、その間にすでに立ち上がる子山羊たち。自立力がすごすぎる〜。とゆうことで、お手伝いおばさんの出る幕なし。その後も、ずっと親が付き添うわけでなく、子山羊がちょっとでも鳴いたらすぐさま駆けつけ、おっぱいをあげる仕草。

あー。立派なお産でした。私自身、自宅出産した2回ですが、2人目の時は、自分で言うのもなんですが、まーまー立派なお産だった。と思うのですが、山羊母さんには、驚きました。そして、普通に流れていく、妊娠、出産、子育て、暮らしの何にもに、隔たりない姿がかっこよすぎて、山羊先輩ますますリスペクト。

高原早朝ヨガ|2022

山の日企画、くじゅうフェスの早朝イベント、高原早朝ヨガが8日に、最高のお天気の元、無事に開催できました。

3年ぶりの開催で、1、2回目は緊張の方が上回っていて、車中泊の前夜、何度も何度も目が覚めたのですが、今回の前日は、わくわくが緊張を増し増しで、案外熟睡、そして早朝の満ちたエネルギーと、山に上がってゆく霧の上昇感たっぷり浴びて、今年も素晴らしい時間を過ごすことができました。3回目となると(やっと)私も慣れてきて、来た方と少しお話ししたりできて、実は遠方から1回目から参加しています、とゆう方がいることが分かったり、今回は、すでに暮らしの一コマにヨガがある方々が来てくれて、単発なイベントのようで、しっかり繋がっていっているものがあって、紡いでいっている時間なことに、嬉しさたっぷりでした。なんでしょうね。この満ち満ち感は。といっても、言葉では言い尽くせない空間があるのです。体感した人にか分からない感覚があって、体感した人にしか、記憶に残せない時間。1年に1度だけれど、ここにしかない空気があります。呼吸をするたびに透明になる私の心。勝手に私がつけたサブタイトルですが、そんな体験をまた、来年!

その時間を共にしてくださった皆様、企画運営の担当の方々、心よりありがとうございました。

光徳寺|玖珠町さんから分けてもらった蓮。去年は近隣の木々が思ったより生い茂って陰になってしまって、葉っぱだけ茂ったので、今年は場所を変えて陽の当たる場所で、待つこと。待つこと。そしたら、今朝。見事に!咲きました。咲いた、ただ。それだけ、なのですが、ぅわー!っと家族全員裸足で外に出て、しばし見惚れるくらい、小さな蓮の花から大きな何か、が放たれていました。今日はうねヨガの日でもあったので、来てくれた方が、神々しいわぁーと手を合わせておりました。太陽や、木や、森、水。思わず手を合わせたくなる自然崇拝。が、暮らしの中にあること。潤いです。

鶏小屋に入る山羊親子

山羊母娘。最近のお気に入りは烏骨鶏の小さな小屋に入ります。左のお母さんの梅さんは、もぅ/ぎゅぅぎゅぅ\で入ってます。右の娘、小雨ちゃんは、部屋が小さ過ぎて入れないのに、どうしても入っておきたいみたい。頭隠して尻隠さず。久しぶりに産みはじめた卵2個あったはずなのに、ぐっちゃり潰れておりますがな!あーー゛゛…鶏がいっぱいいるからって、いつもいっぱい卵を食べているわけではなくて、自然の卵はとっても貴重なんだからぁぁぁ

くじゅうフェス|高原早朝ヨガ|2022|息を吐き出す度に透明になる私の心

今年はあります!くじゅうフェス高原早朝ヨガ!8月8日(月) 朝6時スタート!

まじめ腐って嫌だけど、ヨガって、生きている人の日々行う今の確認的な地味なことなので、表面上のこうゆうヨガ、っていかがなもんなのよ。って思ってたヨガ病(凝り固まった病気ですわ…)だった私が、ご縁あって、こんな時間を持たせてもらえたことに、感謝をしていないはずがない!のです。なんといっても、1人の力でそんな時間に、皆に集まってもらえる人脈と信頼、はない。。だろうし。。時間が早いなぁ、とゆうならば、その日だけ。なのでご心配なく。遠いな。いえいえ、その日だけなのでご心配なく。何を無理しても、その日だけなのでご心配なく。それ以上に勝る、自然の圧倒的な美しさと、空気があります。ヨガは…、すでにもうあるものを、見れてない自分たち、それを、大きな自然に中にいる自分を素直に見れるようになるきっかけ。に過ぎない、、けれど、自然-自分-呼吸-意識 をつなげた時の心地よさといったら、、。そのチャンスが掴めた人にしか感じられない世界があります、高原早朝ヨガ!!!ご縁があった方、お会いできるのを楽しみにしております✴︎

2018年の様子はこちら—✴︎✴︎✴︎

2019年の様子はこちら—✴︎✴︎✴︎

詳細、ご予約はこちら—くじゅうフェス\2022

山羊がきました

山羊が3頭やってきてくれました。母ちゃんの梅ちゃん。坊ちゃんの雨吉くん。娘っ子の小雨ちゃん。梅雨時季に来てくれたので、みんな梅雨にちなんだ名前。山羊って、草もなんでも食べるのかと思いきや、よーく観察していると(とゆうか、うっかり見惚れてしまう時間が多い…)、草より、木の葉っぱの方が好みなのと、鼻先で匂いも嗅いで、食べる食べないと見極めているようで、食べる方に選択された葉っぱ類は、あんまり美味しそうに、むしゃむしゃと食いつくので、私も食べてみたくなって、味見してみるも、確かに美味しい。山羊が食べていいのなら、私だってきっと栄養になる葉っぱなんだ、とゆう意識で見ると、案外家の周りには、鬱蒼と茂っている食料がいっぱいあるな、と気付かされた山羊観察の日々です。念のため首輪を2日ほどし観察していたけれど、今日は小雨ちゃんの首輪を外していてもどこにいかなくなって、疲れたら自分で小屋に帰ったり、私の近くに来てくれたり、雨吉くんも梅ちゃんも、少しづつ身体を触らせてくれるようになってきて、徐々に仲良しになってきました。なんでしょうね。見ているだけで満たされる幸福感って。無垢だからなのか、ただ生きることだけしているからなのか…烏骨鶏も猫も、山羊も、癒し力がすごいです。

自宅で採れた梅で今年は充分かなと思っていたら、ひょんなことに梅ちぎりの話があって、アルガンツリーに登る山羊の様に木登りして取って帰ってみたら結構な量で…去年漬けた10数キロの梅干しもまだ1個も食べてないけど…今年も20キロは超える梅をいろいろと仕込めました。傷梅でジャム、梅干し、青梅酢漬け、梅エキス(青梅をすって汁だけをひたすら煮詰めた超凝縮梅汁、1-2キロ梅から数十gにしかならない手間暇かかる作業ナンデス、抗菌が強く体調不調気味には必須)、梅エキス搾かすで醤油麹梅(これ結構イケマス)、さらに2回も梅エキスを作ったので、絞り青梅をトマトの季節になったら中濃ソース用に使うため瓶詰め、梅エキス後の種と雑草で酵素ジュース、、余すことなく加工できた自己満足感。保存作業は、ま、いつか困らないならやっとくか、とゆう気持ちとほぼ趣味で、瓶をよく使うと言ったら、捨てる瓶をいろんな人が持ってきてもらえるようになって、買わなくても良くなって、益々、瓶詰めできちゃう流れ。梅は薬。良薬口にすっぱうまし。

醤油仕込み

ずっと気になっていた醤油をやっとこさ仕込みました。といっても、味噌の麹もやっと…な私が、初豆麹(そもそも常在する納豆菌に負けやすいらしいので豆麹は難しいとゆう情報多々) で、いきなり醤油仕込みですから….醤油と言わず、醤油汁。が完成すればいいかなーくらいな気持ちでいます。が、その昔、みりんもそんな感じで仕込んでみたけれど、なんと既に何年熟成かの立派なみりんになっているので、心の隅ではちょっと期待もしつつ、毎日木べらで混ぜていると4日目くらいから少しづつ香りが変わってきました。さて1年後、どんな汁。が出来上がるのでしょう。楽しみです。今回は大豆2.5kg小麦粒2.5kg 麹づけ、塩2kg湧水6L仕込みました。年間足りるくらい来年仕込めたらいいなぁ、とゆうことで、今は大豆の芽だしお世話をしています。これが、私とっては結構大変で、豆を土に植えたと思ったら陸から穴熊が!芽が出たと思ったら空から野鳥が!もうごった返されたり、引っこ抜かれたりと毎年格闘です。なんで気づくんだ?!と自然に生きるものの嗅覚に驚きと共に、なんとかして、作り上げたい気持ちもにょきにょき育ちます。むしろ、そっちの方が大きく育っているような….とほほ…

よもぎ油

今年もエネルギーぎゅぎゅり!新芽朝摘みのみのよもぎ油作りました。今年はしらしめ油をベースにエキス抽出してみました。朝露残る時間に新芽だけ摘み取って、少し天日に当てて乾燥、その後オイルを入れた土鍋を薪火で、ゆっくりじっくり煮出して、熱いうちに濾し完成。おてあての時、や、自分用に使います。乾燥した時はもちろん、マッサージする時、この前、湿疹が出た時に、びわ葉エキス、びわの種エキス、へびいちごエキス、色々試して、その時はよもぎ油が格別に痒みに効きました。その時々で効果が出やすいのも変わるのだな。身の回りの薬草常備薬。香りも使い心地も効能も安全性も抜群です。

縄文の森

その昔、私にとってはまたまた昔。中学生になって歴史の授業が始まりました。ページをめくると素焼きの器の写真がちらほら、文様も素敵で、竪穴式住居もなんだか、かっこいい。へーみんなで教力しあって獲物を捕獲するんだ!縄文時代とゆうらしい。時間が進んで、弥生時代へ、高床式になったのをみて、なんだか竪穴式住居の方がかっこいいな、時代が進んでいくうちに、なんだか歴史は暗記してテストの答えを覚えるもの、になってしまって、テストが終わったら全部忘れるので、時代の流れ、をお恥ずかしながら、さっぱり理解しておりません。今から思えば面白い箇所は山のようにある、と思うけれど、中学生の頃の私は、縄文時代の少ないページ数だけ興味をそそられて、あとは、………となってしまっております。

鹿児島方面へ行くなら是非おすすめ。と教えてもらった|上野原縄文の森|

上記のとうり、教科書で唯一好きだった時代なので行ってみることにしました。縄文の出土したものの復刻だよね、と想像して、レトロを通り越した土の世界をイメージして行ったらば…出土後の保管建築物、文化財センターなど、アナログとデジタル、ローテクとハイテクの超ハイスペック融合!がそこにはありまして、期待を遥かに超えるいい時間を過ごすことができました。私だけでなく、子供2人も森内のアナログローテク部門では、竪穴式住居に興味津々、この材料なら、建てられそうな、、気がする、参考になる箇所を、中1小1で検討し合ったり、森と人、動物の暮らし方を想像したり、デジタルハイテク部門では、興味をそそるように電動式で作られたミニチュアの縄文時代の森を堪能したり、映像になった縄文時代にタイムスリップしてみたり、とにかく飽きることなく、当初1時間くらいで見切れるよね、と思っていたのに、気がつけばあっとゆうまに3時間が経過しておりました。

あんなデジタルハイテクな使い方なら、随分とリアリティがあるし、より、内容を深めることができるなぁ、もっとも興味深くて、覚えるし、記憶に残るよね、と思って、どの時代のもあればいいのに!なんて思ってしまったほど、でした。

物は使いよう、とゆうことでしょう。

ハイテク!をどこか嫌っていた私ですが、全く意識を覆された森!でした。

ぜひ、また機会があれば、いえ、機会を作っておとづれたいと思います。みなさんもぜひ。

夢みる小学校

え?!これ、小学生が作ったの?!本当?ビックリ!と、インパクトある写真のこちら/ホームページからのデータ/

先週、夢みる小学校 観てきました。正直、フリースクールとか、特別授業的な学校はそれほど興味がない、私なのですが、何故観たいと思ったか、は、公立の中学校を校長先生が校則を3つまでに減らして、髪の毛も自由に、定期テスト廃止して小テストにした、公立でも学校は変えられます、とゆう内容を見たから、なのです。映像に映ってない部分もあるので、全て万々歳なのかは、ハテナ。にしても、いわゆる私達が知っている時間割が時間割じゃない学校があったり、体験を通して、カテゴリー分けせずに、算数も国語も歴史も、理科も、家庭科も、体育も同時進行で学んでいき、自分たちで決めて、自分たちで実行して、反省模索して、次に繋げる。あー、そりゃー楽しいよな。自己責任のない自己満足な自由ではなくて、成り立つ自由、表現の自由。がある学校に見えました。

娘、中学1年生。に「あんな学校あることが分かったけど、行きたい?」と聞いてみたら、「確かに楽しそうではある、けど、今の学校がすごく嫌だったら、行きたいと思ったかもしれないけれど、今の学校はそこまで嫌じゃないし、観た映画の中でも、変えられる、変われることがあるかもしれないってことが分かったから、行く必要は今の時点ではない、かな」と。理想に近づいていくために、自ら動く、とゆうのはとても大切だと思うけれど、理想郷ばかり追い続けて、目に前にある環境を否定し続けたり、見落としていく、のはもったいないとも思うので、今ある環境なり、空間なり、時間なりを、自分とは違うのを踏まえ、多様性の認識、共有、調和として、客観的にみれる、とゆうのは、今後の人生でも役にたつだろう。映画を見て、学校に通う、言葉にしたら、学校に行けば学校に通うで、一緒なのだけど、こんなにも感覚的に違う時間を過ごしている、同じ年の子達がいるってことが分かってよかった、ってことで、今の学校で体験として難しいことは家主体で楽しみましょう、ってことで、感覚を養う体験の旅。春休み編からゴールデンウィーク編へ。

李白酒造

春休み、九州から瀬戸内海側の下道を通って直島まで行って、帰りは日本海側からまたまた下道で車中泊しながら帰ってきた旅記録綴。ゴールデンなお休みに突入しながらも、まだゆっくり春休みのつづき…

鳥取から島根へ向かう途中、松江あたりを通過しながら、あれ?たしか、ずっと買わせてもらっている、味醂屋さんってこの辺だったような、、調べたら、ちょっと通り過ぎていたんだけど、ここまできて、電話もしてみたら開いてるんだし、引き返して行ってみよう!とゆうことで、|李白酒造|さんへ。そもそも、みりんを探していて、九州で見つけられなくて、それでもいつか自分でそこに行ってみられそうな場所から買わせてもらいたいのが、根本だったのでした。作業所は突然だったし、忙しそうでもあったので、見せてもらいませんでした、が、その場に行って売っている方、作っている方とお話しできたこと、は、やはりインターネットでこれから先も購入するにしても、気持ちが違います。いつもの、飲んでも美味しい!みりんと、大吟醸のお酒、李白って書いた酒屋前掛けを購入させてもらいました。

松江の低い街並みも、海も近いし、山もすぐ。ってな環境に、なんだか私好みで、移住してもよさげ、、とまで思えた場所でした。実際に行ってみた自分が必要な調味料やさん見学の旅、|大分県玖珠町の麻生醤油さんの杉樽仕込み醤油| |熊本県御船町の坂本製油さん| |熊本県天草の自然食品研究会の天日塩| 全て子供も一緒に行っているので、どんな場所で、どんな人たちが、どんな雰囲気で、毎日食べているものを作ってくれているのか、知っています。残るは、黒砂糖。沖縄波照間島…遠くない気がしてきた…

断髪しても、髪は生きている

日本海旅記錄の途中だけど気分を変えて、娘の断髪話を。いつ頃だったか、小学生は低学年の頃から。髪を伸ばし始めて、どこから聞いたのか、髪ってカツラに必要なんでしょ?誰かがそれが必要な人もいるんでしょ、なら、いつか、それをしようと思う。いわゆるヘアードネーション。とやらです。なので、ほぼ小学生生活の間、毛先くらいしか切らず、卒業式はお尻までのびていました。ここまで来ると、なんか、私の方が、黒髪で綺麗だし、もったいない気がして、そのままでいんじゃない?といっても、いや、中学に入る前に切ろうと思ってたから。とゆうことで、バッサリ!一気にロングからおかっぱになったのです。

実は私も小学6年生の頃は、お尻まで、とはいかなくとも、ずいぶん長い黒髪ロングヘアだったのですが、ある日。突然、美容室に行くぞ!と、私の意見なんて聞きもしないで、しかも、バッサリ切るからちょっと街の初めて行く美容室に予約が取られ、、なんの情も、なんの意思疎通もできないまま、いきなりショートカットにしてくれ、と親が頼み、切り上がったスタイルは、ザンバラ状態。6年生でも、これって、、これって、、にあってなくねーか?いや、似合うとか以前に、カット、下手すぎないか?、とゆうか、私、髪切りたいって言ってないし……。心の内が一気に真っ黒になって、親への信頼感を閉ざしたのでした。笑。その頃、はヘアドネーションなんて言葉がなかったけれど、美容師さんのカラーのサンプルくらいにはなったのかな、とか、思ってみたり。

実際に切りとられた娘の髪は、生き物。まさに、娘の生き写し的、、なものであり、インドでも見たことがあった、髪を神に捧げる、とゆう意味が、深く分かった気がしました。まだ、念?息?のようなものが、髪の毛から感じられるので、しばらく待って、ドネーションしたいと思います。生まれてから、ほぼシャンプーや化学的なもので洗ってないので、ここまでバージンな髪の毛が日本から出るのは、、珍らしいと思います。

鳥取砂丘

春休み、九州から瀬戸内海側の下道を通って直島まで行って、帰りは日本海側からまたまた下道で車中泊しながら帰ってきた旅記録綴。

子供の頃に行ったところ。中でも断片的に覚えている記憶。があります。鳥取砂丘でラクダを見た。より、私はラクダに乗ってみたかった、のに弟は絶対乗りたくないって事で、1人でも乗れたはずなのに、なぜか。私は乗れなかった。砂丘=ラクダの方程式が記憶にインプットされた出来事です。子供にとっては、大きな砂場なわけだから、砂丘って楽園のようで、むにゃむにゃ口を動かし、大きなコブの間に乗せてくれるラクダだって、どんな高級な車より神々しく見えるに違いない。案の定、連れて行ったら、どこまでも2人は走り続け、突き進んで砂と戯れていたのです。時間が許すなら、ずっといても飽きなかったのかもしれません。ラクダにも2人仲良く乗せてもらって、意外と揺れること、コブの中身のこと、乗ったにも関わらずラクダが何周も観光できた人を乗せて、鼻に通した紐を引っ張られながら歩いているいる現実を見て、虐待だな、まるで、エルマーのぼうけんにでてくる、囚われた竜。と同じだ、と2人で話していました。インターネットで世界は広がっているけれど、そこに吹く風、匂い、温度までは、やっぱり味わえないし、ましてや、触ることも、そこで起こる一期一会的な出来事も、目を伏せたくなるような出来事も含め、行ってみなければ、自分の身に降りかからなかったことでしょうし、旅。をする。ことは、そうゆうことなのだ。と、砂丘で砂まみれになって、いつまでもどこからか砂が出てくる車から、旅の余韻を感じています。と、綺麗事だけではなく。暮らしの中では、遊びの時間にも制限かけてしまっている大人事情があるので、時間に余裕がある旅は、大人まで遊ぶ時間があるので、大人の子供への罪滅ぼし的な時間でもあるな、とも、素直に思っています。

神勝寺

春休み、九州から瀬戸内海側の下道を通って実家の直島まで行って、帰りは日本海側からまたまた下道で車中泊しながら帰ってきた旅記録綴。

広島の福山にある|神勝寺 禅と庭のミュージアム|数年前に本で見ていて、いつか行ってみようと思っていた場所。だったので、やっと訪問。侘び寂びを卓越した、広大な敷地はとても綺麗に整備されて、レレレのおじさんがいったい何十人いたらこんなになるの。とゆう具合。移築された茅葺き屋根のおうちや茶室、等々、一つ一つが古く、きっちりメンテナンスされていて現役で、あー住みたい!藤森照信さん受付棟も素敵で、あー住みたい!東家ひとつとっても住みたい家がいっぱいありました。

その中でも新築物件、禅のいわゆる。見えない、その人にしか感じ取れないさまざま感覚\気づき、をアートとして、音、風、光、空間とゆう、リアルに感じ取れるもので表現したアートパビリオン|洸庭こうてい KOHTEI |。何十年、何百年?もかけて切磋琢磨修行しながら体得していくことを、こうゆう形で、ある意味、感じる人には奥深くもあり、また簡単な言葉でも片付けてもしまえる、いわゆる評価してしまえる形。にしたのは、凄い事だなぁ、と感じていました。そこの境地、にぐるっと回ってまた戻ってきたから出来ることなんだろうか…。全く触れることがなかったところへ、違う角度からお届けする、柔軟性。とゆうのは、私自身、とても感化された部分は多くありました。きっかけがなければ始まらないこともあるわけで、きっかけのその先へ。本質を高める。おとづれて心内に落としてきました。

子供たちがまた大きくなって、彼氏彼女と行って欲しいと思います。

長島へ

「これ、読んでみて」と、おすすめしてくれた本は、どんな本でも読みます。この本もそうでした。1ヶ月ほど前に渡されて、1ヶ月後には、この本を書かれたご本人が住む、瀬戸内海の島まで来るとは思いもしなかったけれど。

長島は、私が生まれ育った実家のある直島から、2時間弱のところにある、ハンセン病だった方たちが、今も暮らしている島です。ハンセン病…聞いたことはあっても、どこか過去のことのような他人事のような響きで、この本を読むまで、恥ずかしいことなのだけれど、長島のことも、勿論知らなかったのです。実家に近いとはいってもやはり、行きたいと思わなければ、行かない行けない場所も多いわけで、なぜ惹かれたのか…著者の宮崎かづゑさんの綴る世界が、実際にあるならば、見てみたい、ただそれが大きな原動力となったのだと思います。

本島と隔離されていた島の距離は、目と鼻の先程で、橋がかけられたのが34年ほど前、その橋を渡って長島に入ると、そこには、関係者、見学者以外は、療養地に入ってこないで、とゆうコロナ対策の看板があって、コロナなんて、と思っている私が、もしや私って来ちゃいけないとこに来たのだろうか、、とゆう思いもよぎりつつ、まず最初に立ち寄りたかった|喫茶さざなみハウス|へ。海辺の最高にいい場所で、とても美味しいものと、いい空間と、感じの良いスタッフさん、そして、そこに喫茶をしている意味、、世界のどこにあっても、きっといろんな人が集まるでしょうね、とゆうとてもいいお店で、すっかりファンになってしまいました。

スタッフや店長さんと、お話しすることができて、無知ながらも、なんでここに来たのか、とか、実際病は完治していても後遺症が残る方々が暮らす現状のことなど、自分の耳で、そこにいる人たちに聞けたことで、あーやっぱり私は子供たちも連れて来てよかったのだ、と、とても肯定してもらったような気持ちになりました。店長さんが、かづゑさんは元気だから、ここにも来るので、いつか会えますよ!わざわざ熊本から本を読んできた人がいましたよって伝えておきますね、と言ってくださって、うん、うん。また絶対来ます。と、歴史館へ移動しました。歴史館の閉館時間が迫っていて、ゆっくりいられなかったけれど、島に来た。それだけで、私の無意識にあった偏見のような不透明だったものが、すぅーっと霧がはれてゆきました。

かづゑさんが、本に書いておられた、生きなければ分からなかった(ことがあった) とゆう言葉が印象的で、魂で生きている人は、体って本当にハリボテのような、ただまとっているだけなんだ…ただただ、それが。この本を読んで1番大きく響いたことでした。ここ数年、暮らしを続けてきたことで、ヨガへも 身体へも、心へも、環境へも自分が今まで思っていたことと、見える角度が変わってきているので、かづゑさんの、生きてきてわかったこと、の、ほんのほんの一欠片に満たないかもだけど、そこに共感できたような気がして、嬉しくもありました。

喫茶さざなみ、次回は夏かな。人生の楽しみが増えました。

一冊の本から、大きな広がりが生まれました。

留守番ぼっちゃん

先日のこと。自宅保育の6歳ぼっちゃんは、私が仕事のときは、基本着いていくとゆう風に数年やってきましたが、先日は、家で1人で留守番します。とゆう選択を自分でしました。以前にも何度かそう言っていたのですが、冬の間は、薪ストーブもあるし(薪ストーブを灯し続けることはできるので寒さで凍えることはないにしても)念のため、連れて行っていましたが、もう寒くもないし、彼の意見を尊重して、また、彼を信用して、みることに。親から見ても、まだ6歳なのによく考えその先を見据えているなぁとゆうところもあるので、さて、留守番中は何をするのかな。楽しみでもありました。で、帰宅したら。菜の花の花束が、どさっと机に。何やら画用紙で花束を包もうとした形跡もあり。聞いてみると、集落を散歩したのだとか、なぜ散歩したかとゆうと。集落にある菜の花がどこにどれくらいあるかを地図を作ろうと思ったそうです。私が菜の花好きなので、いつも気にかけてくれているのです。1年ぶりの菜の花採取で、花は咲いてていんだっけ、どこから取るんだっけ、忘れちゃってた。と笑いながら話していました。これから、よもぎ、すぎな、つくし、クレソン、わさび、ノカンゾウ、それに焚き付けの枝…遊びながらいろんなもの見て、採取してきてくれると、ありがたいなぁ。留守番ぼっちゃん、親が思っていた以上に育っていました……