長島へ

「これ、読んでみて」と、おすすめしてくれた本は、どんな本でも読みます。この本もそうでした。1ヶ月ほど前に渡されて、1ヶ月後には、この本を書かれたご本人が住む、瀬戸内海の島まで来るとは思いもしなかったけれど。

長島は、私が生まれ育った実家のある直島から、2時間弱のところにある、ハンセン病だった方たちが、今も暮らしている島です。ハンセン病…聞いたことはあっても、どこか過去のことのような他人事のような響きで、この本を読むまで、恥ずかしいことなのだけれど、長島のことも、勿論知らなかったのです。実家に近いとはいってもやはり、行きたいと思わなければ、行かない行けない場所も多いわけで、なぜ惹かれたのか…著者の宮崎かづゑさんの綴る世界が、実際にあるならば、見てみたい、ただそれが大きな原動力となったのだと思います。

本島と隔離されていた島の距離は、目と鼻の先程で、橋がかけられたのが34年ほど前、その橋を渡って長島に入ると、そこには、関係者、見学者以外は、療養地に入ってこないで、とゆうコロナ対策の看板があって、コロナなんて、と思っている私が、もしや私って来ちゃいけないとこに来たのだろうか、、とゆう思いもよぎりつつ、まず最初に立ち寄りたかった|喫茶さざなみハウス|へ。海辺の最高にいい場所で、とても美味しいものと、いい空間と、感じの良いスタッフさん、そして、そこに喫茶をしている意味、、世界のどこにあっても、きっといろんな人が集まるでしょうね、とゆうとてもいいお店で、すっかりファンになってしまいました。

スタッフや店長さんと、お話しすることができて、無知ながらも、なんでここに来たのか、とか、実際病は完治していても後遺症が残る方々が暮らす現状のことなど、自分の耳で、そこにいる人たちに聞けたことで、あーやっぱり私は子供たちも連れて来てよかったのだ、と、とても肯定してもらったような気持ちになりました。店長さんが、かづゑさんは元気だから、ここにも来るので、いつか会えますよ!わざわざ熊本から本を読んできた人がいましたよって伝えておきますね、と言ってくださって、うん、うん。また絶対来ます。と、歴史館へ移動しました。歴史館の閉館時間が迫っていて、ゆっくりいられなかったけれど、島に来た。それだけで、私の無意識にあった偏見のような不透明だったものが、すぅーっと霧がはれてゆきました。

かづゑさんが、本に書いておられた、生きなければ分からなかった(ことがあった) とゆう言葉が印象的で、魂で生きている人は、体って本当にハリボテのような、ただまとっているだけなんだ…ただただ、それが。この本を読んで1番大きく響いたことでした。ここ数年、暮らしを続けてきたことで、ヨガへも 身体へも、心へも、環境へも自分が今まで思っていたことと、見える角度が変わってきているので、かづゑさんの、生きてきてわかったこと、の、ほんのほんの一欠片に満たないかもだけど、そこに共感できたような気がして、嬉しくもありました。

喫茶さざなみ、次回は夏かな。人生の楽しみが増えました。

一冊の本から、大きな広がりが生まれました。

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  1. ピンバック: かづゑ的 – すきま

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