
自家製小ぶりの黒大豆。華奢で艶やかでとても美しい黒大豆ちゃん。どうしてもこの品種が良かったわけじゃなくて、/友達がずいぶん前に買ってたけど忘れてたから、烏骨鶏たちのご飯にあげて/、ともらった、黒大豆、を、烏骨鶏にあげないで、土に蒔いてみたら、とても強く、たくさん種をつけてくれるので、継いでもう10年近く。豆餅の準備でフライパンで炒ったら、毎回、思うこと。真っ黒な無口な大豆たちが、皮が弾けて笑い始める感じが、なんとも可愛らしくて仕方がない。笑う黒大豆。

自家製小ぶりの黒大豆。華奢で艶やかでとても美しい黒大豆ちゃん。どうしてもこの品種が良かったわけじゃなくて、/友達がずいぶん前に買ってたけど忘れてたから、烏骨鶏たちのご飯にあげて/、ともらった、黒大豆、を、烏骨鶏にあげないで、土に蒔いてみたら、とても強く、たくさん種をつけてくれるので、継いでもう10年近く。豆餅の準備でフライパンで炒ったら、毎回、思うこと。真っ黒な無口な大豆たちが、皮が弾けて笑い始める感じが、なんとも可愛らしくて仕方がない。笑う黒大豆。

鏡餅より餅座布団。
お正月だけじゃぁもったいない。冬の間中頻繁にいただきたい、お餅。今年は、餅米を余裕もって作れたので、玄米餅三昧。とても喜び深い。

無病息災を願って7日にいただく //七草粥// を今年もスーパーに出回る前、5日の今日いただく。とゆうのも。娘が、田舎ならではのアルバイト/七草のパック詰バイトに、去年に引き続き行ったので、最終日パック2つ持って帰宅。
スーパーに出回るとゆうことは、どこかで生産され、パック詰されて、市場にでて、そこからスーパーに。28日からすでにパック詰が始まり、年始3日くらいには、何千個ものパック出荷完了。
寒い中、年末年始働いていてくれる方がいて、多くの方が無病息災にあやかれるのである。
七草、煮込むより、薪ストーブの上で土鍋でじっくり粥になった/玄米粥/に、塩揉みして浅漬け風にのっけていただくのが1番美味しいと思う。本来理由あって7日にいただくけれど…先走り七草粥だけれど…鮮度がいいうちにいただくことで、無病息災にさらなる期待を願うのが、人間の欲望ってやつでしょうか。無病息災の前に、そもそもただすべきところがありそうです……。

2024のはじまり
目が覚めたら、お腹の上にも、背中にもぴったり、足元と股の間にも、ぬくぬくねこがいて、至福のお布団の中でゆるゆる時間…。このシチュエーションで、朝陽の光がすっと刺したら、さぞ気持ちよかろうねと思うけれど、、日当たりの悪いうちには、残念ながら光は見えなかった。ぼんやりと意識が鮮明になってきて、あ、そうか、年が明けて、2024年か。初夢見たのかな。私…。
……思い出せない。熟睡、とゆうのか、爆睡とゆうのか。安眠とゆうのか。思い出せない。
そんなことを思いながら、昨日。からの今日。12月31日から1月1日。2023年。からの2024年。時間が積み重なることで、昨日が今日になって、31日が1日になって、2023年が2024年になった。寝る時と起きた自分は同じ空間にいたのに、私の認識が変わった。とゆうことを考えた。
時間とゆう概念は、うんも言わさぬ強制力が強い。先日、ロードオブザリングを見直したんだけど、その中で、/明けの明星、東の空をみよ/とゆう言葉があって、なんかいいなぁと思った。明けの明朝。は早朝なんだけど、時間ではなく、現象で時間を伝えているところが、なんて、豊かなんだろうと。陽が登って陽が沈んだら、今日ではなく別の日がくる。別の日=明日になったら、また陽が登って陽が沈んで、また今日じゃない別の日になる。現象の積み重ねが時間であり、認識なんだ…。
今年も小さな目の前の景色も、壮大な景色も、いきとしいける生き物たちの美しさを、みていきたい。

動物は心地よい。を見つける天才。ほんのちょっとの時間だけ、朝陽がさすこの場所も、光と温度が心地よいことを知っていて、だいたいどの猫かがここに、座るか寝転ぶかして、いい顔してる。
人間以外の生き物たちば、嫌だなぁとか、頑張って、とか、精神的に自己犠牲を持ってまで成してることって少ない(…ないのではないか)と思う。だから、自分に嘘つかず無理せず穏やかで乱れないのかな。体は動けても心が拒絶している状態で動いても、効率的にも、生産性も、ましてや、心なんて伝えられないわけで。ただ、見返り。があると動くのが人間。そこに惑わされないでいると、見返りがなくても動く時もあれば、見返りがあっても動かない時もある。利害、とか、損得と呼ばれる世界から少しづつ、離れていくと、そこは精神の自由な世界へようこそ。思わぬことが、いわゆる、運がいい。とか、タイミングがいい。とか。起こるはずないやろってことが起こったりする。って世界に入っていくのだね。あー。今まで、なんて損したんだろう。愉快な日々は誰にでも平等にあってプライスレス。さぁ。栗拾いだ。

梅時期に、自家用に60キロほど梅仕事(梅干しやジャムもろもろ…)したのですが…やっと、梅干しを日光浴。干すことで、殺菌、旨み凝縮。と思ったら、夕立や、雨やで、しっかりお日様に干せない日々。家中、酸っぱい香です。干してる横から、娘/息子が食べてゆく〜。梅干しは、梅と塩。それから赤紫蘇のみのシンプルな材料で作れる保存食であり、抗菌食であり、薬でもあります。自家用にそんなにいらんやろ、くらい、仕込んでますが、いつか引越しして、種から育てても、成長の間もずっと食べられるように備蓄です。インドに住んでいた時も勿論持って行っていた(国内で旅に行く時も必須!)のですが、仲良しのネパール人に食べてもらったら、「おぉ!イムリーだ!」と。のちに、イムリーのもぎりたてをネパールの山道でかじったのですが、目が×バッテンになって、口がすぼまって、ぎゃー!唾液がじゅわーッと出る出る、な酸っぱい味でした。夏の暑い時に食べるといいって言ってたし、おそらく梅とも効能が似ているのでしょうね。干しあがっても、まだ以前に作ったものがあって、順番に出しているので、、また熟成されて、口に入るのはさて。何年後でしょうか。時をかける保存食仕込み。ですね。

9月5日。11時半頃。小雨ちゃんが出産。朝からそわそわしているので今日だなと気にかけていると、11時半頃いよいよの陣痛で座ってる。それまではうろうろするのもそっとしておいて、いよいよになって、お腹を撫でさせてもらった。今回は頭が出てくるまで時間がかかってる、手助けが必要か…頭をよぎるけど、きっと産める。小雨を信じることが私が今できることと、ひたすらお腹や尾骨をなでた、自分の自宅出産の時、助産師さんにしてもらって1番楽になったこと。1番穏やかに戻れたこと。である。
頭がでた!その先はもうヌルッと出てくるだけ。すぐに舐め始めて体液や膜をとってあげる。一瞬とも座ったり休憩せずに、自分のことは全く構わずに。産まれてきたその子は、もう次の瞬間、立とうと、踏ん張る。ふにゃりとよろける。立とうとする。よろける…立とうとする…その繰り返し何回かで、すっとバランスをとって立ち上がる。ふにゃふにゃと歩いてみる。転げる。またふにゃふにゃと立ち上がる。よろよろ歩く。その先に目指すもの。は、おっぱい。しかない。親もこっちだよーおっぱいこっちだよーってゆう鳴き声で教えてあげる。ここまで、30分から45分。立つまでは、30分。他の山羊も含め4回出産を見たけど、これ以上かかった子は、今生きていない。
本当に幸運なことに山羊の出産に、いつも立ち合えるんだけど、なるようにできている神秘。ちゃんとそこに生きているものは、そのエネルギーに引き寄せられるようになっている、こと。そこに圧倒されるばかりなんです。なるようにできている神秘、いわゆる自然であり、宇宙の巡りなんだろうけど。足し算しなくても、そのまま。で充分なこと。人の身体にも言えるなぁって。
猫、山羊、烏骨鶏から本当に大切なこと。を教えてもらうことばかりで、一緒に暮らしてくれて本当にありがとう。ただ。ただ。生きているだけでありがとう。今日もみんなを撫でさせてもらう。撫でてあげてるんじゃない。撫でさせてもらう。明日もその次も…その次も…。
神秘はさらに広がって。先日泣く泣く里子に出していた、小雨ちゃんのお母さん。の梅ちゃんも、別の場所で、なんと同じ日に出産したそう。時が満ちた日だったのだろう。きっと、人間の私たちがもう感じ取ることのできないすごいエネルギーが満ちた日なんだと感じている。

まき寿司親子のその後。たった1週間そこそこで、産まれた時の倍サイズ。目もぱっちり開いて、塞がっていた耳も開いてきて、耳も猫っぽく立ち上がってきた。猫らしい仕草も。まだ、四つん這いで歩いてはいないので、低ーーい四つん這いで、もそもそと動きます。それがまたかわいい。

猫、まき寿司は一体、何歳だろう、いや、何ヶ月だろう。野良猫だったはずで、ふらっとうちに来て、その日からどこにも行かないで、きゅんきゅんとなつこくいるもんだから、みんなが撫でて可愛がって、当たり前のように一緒に暮らす猫に。そしたらお腹が大きくなってきて、あれ、もしや妊婦なんじゃ……。きっとまだ身体も小さいし子供のような歳なんだけど、産みました。3匹。人間が心配することなんて微塵もなく。それはそれは立派に。
明け方、4時ごろ。長女13歳が「のんちゃん!産まれてる!」(長女の枕元で1匹)の声で始まったお産劇。一体何匹生まれてくるのかもわからず、産まれてきては、胎盤が出たか確認しながら、次の陣痛を待ち、の繰り返し、私は途中寝たりしながら、1番ずっと見守ったのは13歳でした。産まれても舐めないし、胎盤も食べないし、、(きっと精一杯だったのだろう)そこはちょっとだけ、あもさんが絡まる臍の緒切ったり、拭いてあげたり、胎盤は後で食べるかもと、置いておいたり、お手伝いして、全部産み終えて、ひとしきり眠って体力が回復したら、ちゃん舐めて、胎盤もたべて、おっぱいもあげて。するべきこと。しっかりして、すでにお母さんになったまーきーさん。見たことも聞いたこともないのに、本能でもう知ってるんだ。いつも、動物の出産は、宇宙の神秘:感動的。
そう思うと、私が13歳の頃。産まれると胎盤が出てくるなんて知らなかったし、生命の誕生にも、終わりにも出会ったのは、ここ数年。で、産まれて死んでの命の廻りを、理解したのも、やっと40過ぎて。
8月は私が20年一緒にいた猫ざらめが老衰して、飼ってる烏骨鶏を2羽絞めて食べて、とても可愛がっていた山羊2頭も里子に出して、その後の猫の出産。死と生を身近に感じた月でした。
もう10代で、その廻りを理解してるのかぁ。それを知ってたら、私の20代、違うものの見方してるかもな。1番大切なこと。を学ばずにきた43歳。死ぬまでに、人が学ぶべき大切なこと。間に合うかな。。
生後6日目。少しづつ目が開いてきた子猫たち。最初は耳も聞こえない、目も見えない。でも、お母さんの匂いを嗅ぎ分けて、おっぱいもちゃんと飲んで、すでに頭一個分大きくなってる。
命名 おこげ / おこわ / おはぎ
さて、どの子がどの名前でしょう。
まき寿司、まーきーから産まれた、おこげ、おこわ、おはぎ。米一家。今後が楽しみ。13歳の彼女のこれからの感性も楽しみ。

猫が4匹。になりました。数日前息子についてきた新入り、まきずしさん。まーきー。家に入ってきたその日からキュルキュルとすりすり自分をアピール。出ていく気配は微塵もなく、どっかり家猫に。後ろからの横たわる寝姿が/巻き寿司/にしか見えなくて、命名。巻き寿司。去年の暮れにきた、いなりくん。からの巻き寿司で、コンビ助六が誕生したわけです。思えばうちにいる動物、山羊、烏骨鶏、猫たち(手のひら2つ分サイズの亀も流されてきて、庭のどこかにいて、時々お目にかかれます)は、全員、飼えなくなったり、人間都合でさまよった生き物たち。この世とあの世のすきま。を彷徨うものたちが集まってくる蘇りの家。川嵜家。さて、次のゲストはどなたかな。

おすすめギフトしてくださって、一気に読み終えた「カヨと私」。ヤギのカヨと人間旬子さんのドキュメンタリー。
一緒に暮らし始めて、振り回されたり、幸せをもらったり、社会や環境の仕組みについて考えさせられたり、最も大きな命。の育み、の時間を共にさせてもらったり。
人間とヤギの壁をはるかに超えた(と、人間は思っている)感覚が、小豆島で暮らし始めた著者と、私の今と。重なる部分が多々。思った以上の繁殖力の強さに驚き、できた子山羊の去勢に悩む著者と心の葛藤や、言葉通じないけれど意思の疎通できた時の喜び。
山羊と暮らして、外から見ると、餌の確保や時間も取られて大変になっているよね。だけにしか見えないことも、当の本人たちは、今まで誰も教えてくれなかったことの学びでしかなく、とても愛おしい生き物であり、これほどの圧倒的美しさを、暮らしの中で体験させてくれ、ありがとうでしかないこと。
自分と同じような気持ちで、山羊と生きている人がいるんだ。ただ、それだけ、たったそれが知れて嬉しい本でした。

4月30日産まれ、春雨くん
山羊と暮らし始めて1年弱
4回全ての出産に立ち合いし私
宝くじが当たるより幸運だ
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毎年春恒例のヨモギオイルづくり。竹籠いっぱいの蓬の新芽と油を、土鍋に入れて、薪の火で低温じっくり煮出してオイルに抽出。透明から深緑になった色の綺麗なこと。植物を煮出す、よもぎオイル作りや、草木染めは、なんといっても、作業中の香り。がとても良いこと。が、実際にしている人にしか味わえない醍醐味。大切に1年間、私の心体、皮膚。髪の毛まで癒してくれます。

歩けばみどりみどりみどり。歩けば食べられるみどりみどりみどり。がいっぱい。地生えしてくる生命力ある野草に叶う栄養素なんてないのでは。毎日、山羊と一緒のような草。食べてます。

1月の雪でぽっかりできた時間に今年の糀第一弾。薪ストーブの熱で去年育ってくれた古米を蒸して、そのお米とこうじ菌をすり合わせてお願いします!(初詣は行かないくせに糀作りには手を合わせて祈ります)とばかりに紙袋に入れ込み、一晩一緒に眠って保温。2日目、湯たんぽなんかで温度調節して、3日間、全部自然熱と菌のお陰様でお味噌の麹の完成。すでに大豆も寒い日の薪ストーブでコトコト煮て、味噌1回目に仕込みました。去年作っておいたお味噌の容器の上に、材料量や日付を書いているけど、毎年去年は早かった、とか遅めだった、とか確認していて、時間は進んでいるのに、繰り返す自分の行事が、進んでは振り出しに戻る。のすごろくのようだなと。ん?それって人生ゲーム?!出会う人、事、時間。まさに、人生はゲームなのかもしれない。な。これからまた1年熟成するお味噌さん、また来年に会いましょう。

数年ぶりに20センチほど積もった雪がやっと昨日溶けて土や少しだけ顔を出した草たちの色が戻ってきました。雪や寒いのはとても苦手ですが、色とりどりだった世界が白く塗り重ねられた時、少なくなって厳選された色がより鮮明に見え、そして濃淡/明暗が強くはっきりと浮かび上がってくる色の世界はとても好きです。今までは寒いと、それ!堂々と家の中で篭れるぞ。と思っていたのですが、今年は、雪が降ろうが雨だろうが、体調が少々すぐれなかろうが、山羊たちのごはんを山に探しに行く任務。があるので、初めの頃は、嫌だなぁ寒いなぁと思いつつも、重い足取りで、そして重防寒着で裏山に入っていたのです。するとどうでしょう。雪が降った後の山の中のそれはそれは美しいこと。静けさと共に、凛とたたづむ木々たち。雪をたくさん背中におんぶしつつ冷たさに耐えている、のか、久しぶりだねと仲良くしているのか、今年も水を運んできてくれてありがとうと言っているのか、とにかく、森と雪。どちらも拒絶していないのです。雪がたくさん降った日に、森に足を踏み入れたとき、無垢な白い一面に人間の私。が足跡を残すのに躊躇するほど神聖な世界、2日目になると動物が動き始めたのか少し足跡が増えて安心して入らせてもらったのでした。こんな景色がすぐそこにあったなんて…。山羊が来なければ見ることができない、見ようとしなかった世界、また山羊先輩に教わってしまったのでした。寒い雪嫌だ、その気持ち、ちょっとだけ撤回し反省します。

この椎茸、、みると拝みたくならっちゃうのは私だけだろうか。去年椎茸農家さんにいただいた3本。秋初めに、この日に水に何時間つけて、何時間経ったらここの場所において、と指導してもらったら。なんと、その人のゆうとうりの日にちに、こんなに出てきた、これがプロなんだ…!いつも腰低く、挨拶してくださる農家さんが、なんとも眩くみえた出来事だった。毎日お味噌汁の出汁に使う椎茸、、なんとかかんとか、自家製や、頂き物を干して年間分。じっくり出てくる旨味。が、愛おしい。毎日飽きもせず美味しいと思わせてくれるなんて。だから椎茸に崇拝。

何を今更七草。だけれども。
とっくに日常に戻り、寒波も2度目到来の中。七草のことを綴る私、はきっと暇。なのであろう。
本来1月7日、無病息災とお正月の癒すめとして食するものらしいのだが、今年は4日にいただいた。自分で集めたわけでもなく、スーパーに並ぶパックを出した写真である。
でも、もう4日に売ってたか?おそらく売り出しは5日から。都会のスーパーで見ていたお正月明けの風物詩、七草粥セット。の七草の生産者さんが、ここ小国にもいらっしゃり、ご近所さんバイトさん達が寒い中、朝早くから年末年始返上で出荷作業にたづさわり、何事もなかったように、凛とおすましして綺麗な状態でスーパーに並ぶのである。
今年中学1年になった娘も初バイト。/初バイトが七草詰め、なんて人生のネタになって羨ましくもある、私の初バイトはファミリィレストランの仕込みのバイト、1人で任されて毎日何升もの米をとぎ。100個近くの卵を両手でそれは見事に割りまくり、何十個も野菜を切っていたっけ/。
話がそれてしまった…。ひたすら担当の草を詰めたらしい。2万ちょっと!を稼ぎ、出荷される前のこのセットをいただいて、彼女の初バイトは清く終わっていった。
鮮度あるうちに頂こうと、4日。さっさと七草粥。玄米をじっくりたっぷりの水で薪ストーブでじんわり粥にして、七草は煮込まず、塩揉みして、草のアク、えぐみ、青臭み。を感じながらいただいた、鮮度がいいもの。は、土から出た状態で食べるのが1番美味しいと思う。
小国に来て土から教えてもらったことの大切なこと。小国にきて知ったこと。都会では見えなかった物の起源。フライングしてしまったけれど。無病息災。今年も健康で過ごしたい。

2023年へのうつろいは、あたたかな陽射しに包まれ、穏やかな気持ちで始まりました。9年目?に入った今の暮らし、ようやく広がってきた世界ですが、今年は動くような気がしています。気持ちなのか、体なのか、居住地なのか、魂なのか。ただ、風が吹き始めていて、ここに来た時には持ち合わせてなかった、ここに住んで、出会った時間、人達から培われた気持ちと、増えた仲間たちを乗せた舟はどこへゆくのでしょう。動くまで、は、変わらず、動いても変わらないもの。をやっぱり紡ぎ続ける2023年になることでしょう。ご縁あるみなさま、どうぞよろしくお願いします。

22歳の頃。健康か愛かお金か、どれが大事ですか、大切だと思うところのチームに入って、それぞれディスカッションしてみましょう。とゆう時間がありました。その当時の私は迷わず健康チームに入ったのですが、どれが間違い正解は正直、それぞれの感覚なので無い、と思うのですが、最近ふと、健康か愛か、お金か。とゆう質問を思い出して、22歳の極貧乏だった時代から少しは成長したであろうおばさんの20年後。の今。また改めて考えることになりました。見える物質、物体と見えないものが、私たちの幸福観に大きな影響を与えていることは多くの人が納得できると思うのですが、さて。皆さんは、どう感じたでしょう。どれももちろんあるに越したことはないものですが、その時の状況、によっては、どれか、がいらない時もあるかもしれません。22歳の私は健康がないと働けないので、お金が手に入らないし、愛が分けられないと思っていましたが、今から思うと間違いだな、と思います。今もチームに分かれなければいけないなら、迷わず健康、に入ります、が、ただ、愛、お金、は、他からもらえることがあるのですが、健康に関しては絶対もらえないもので、健康の物質=内臓がなくなろうもんなら同じものは絶対戻ってきません。蓄積していくしかない、絶対的な地道な綴りが健康を作り上げる、ことが20年たった今。で、出たひとつの幸福論かもしれません。そして、どれも失うと一緒についてきて失うもの、それが時間なのですね。。
幸せの三段重理論。なるものがあって、それはピラミッド式△。1番下が広くて健康、2段目愛、1番上が成功、となっていて、下から積み上げるのが幸福論だそう。私は何度見てもその積み上げ式に当てはまらない自分の感覚があって、横並びの図にしてみました。どれも手に入っているのに、幸福と感じない、どれかないけど幸福と感じる、これも人それぞれですが、考えることがある時。は、今の状況と心、のバランスがマッチングしていない時かもしれません。何が自分の幸福と思う気持ちを邪魔しているのか、足りないのか、足りているけどちょっと違うのか、、ただいま。私も心の奥底さんと対話中です。年の暮れにこんなことを想う私は20年前と大差ないことも、わかりますね。。とほほ。

今年は9月29日からぼちぼち始めた稲刈り。もちろん、手刈りでざくざく。根元しっかり自分の目で観れる手刈りです。手刈りといっても、雨も挟んだり、熟れるところをまったりで、全て刈り終えたのは、あしかけ2週間ほどですが、刈取だけで見ると一反半なので、実働4日あれば刈り取れます。刈り始めた頃はまだ陽射しが強く、じとっと汗をかくほど暑かったのに、脱穀が終わる頃には鼻に入る空気がツーンとするほど冷え込んで、季節の変わり目の緊張感、凛とした空気がとても気持ちよく作業できました。今年は、分けつが少ないところがあったのと、最後の最後の草取りを、そんなにないしもういいかな、とサボったツケが、稲の足元の稗に繋がって、刈る時の仕分けに時間を取られてしまいました。草取り、やっぱり大切。手刈りだからこそ、最後まで選別できる良さもあるけれど、、来年は、初心忘れず改めてやらなくては。今年はスーパーウーマンがお手伝いに来てくれて、素晴らしく手際良く終えた稲刈りでした(ありがとう!山神様)収穫できる喜びと、案外楽しい刈り取り作業が終わってしまう虚しさ。たわわに黄金色だった場所がぽっかり空虚になっていく感覚。毎年不思議な気持ちで、今年も稲作させてもらってありがとう、ありがとう。ありがとう。べっちゃり土がついても、手のひらの皮膚が乾燥してしょぼしょぼになっても、そんなこと、何にも気にならないくらい、体を動かせば動かすほど満たされる時間を過ごせたこと。やっぱり、ありがとう。だけ。田舎の人が田んぼをして、米を作っているのですが、作り手が減っていって、今やっている人たちはたくさんの田んぼを抱えています。が。その田舎の作っているじーちゃん、ばーちゃんはもう体力的に限界です。できなくなると、抱えてた大きな面積を作れなくなります。じゃぁ、これから誰が米を作っていくのか。日本の大きな課題…今から課題にするには遅すぎる課題だなぁ、と、感じています。お金はそのまま食べられないけど、お米はお金に代えなくても食べられる。ただ。それだけ。