
お客様が来るので、子供たちとビスケットを作った。春の陽気を閉じ込めた くさばなあそビスケット。足元見れば、食べることのできる彩り豊かな草花たちが、私たちを、守ってくれている。

お客様が来るので、子供たちとビスケットを作った。春の陽気を閉じ込めた くさばなあそビスケット。足元見れば、食べることのできる彩り豊かな草花たちが、私たちを、守ってくれている。

訳ありいちご。いちごからしても、私からしても、訳なんてないのだが。いちごはいちご。箱いっぱいの真っ赤ないちごちゃんを残り何個か気にせずいただける喜びときたら!脳内ホルモンが、ダダ漏れてしまっていること間違いない。最近、1995年出版ベストセラーになった脳内革命。をたまたま無料で手にして、読んでみた。1995年。神戸の震災があった年。世の中的にも大きな揺らぎがあり、生きるってことを問われた時代だったはず。たくさんの人が読んで、みんなが実践していたら、今の様な日本よりは随分ましな世の中かもしれないな、なんて思ってしまった。ヨガからはじまり、身体を軸に、見ていっていたら、環境へ、そしたら思想、自ずと心に向かっていって、その先は、脳のことにも気になり始め、完璧な調和だけが平和じゃないことも、不調和があって、調和に向かうことも、なんだかんだ、と、1995年出版の脳内革命が、今の私にはとても腑に落ちる内容だった。いちごそのままが、右脳で美味しいと思う直感こそ、脳内革命の最先端。気持ちいい、心地よい、美味しい、美しい、脳が記憶すると良いホルモンがでて、卑屈になればなるほど体内が毒素で覆われてしまうらしい。感覚では理解しているつもりと思い込んでいた事が、理論的にももう少し深く理解できて、知れば知るほど、人間そのものの構造スペックは本当にすごい。こんなに艶やかないちごが訳あり分類されるのなら、人間は、皆、訳あり人間。ってとこで、ゆるく生きていける。

糀作り、エピソード2。前回分は全て味噌に仕込み、その後もう1回糀仕込み、完成後…。自家製みりん3年後へ熟成はじまり。うっかり入れっぱなしの保存さんたちの瓶を、減っているものは小さい瓶へあれこれ入れ替えたりしつつ、整理ができるのも、作る準備として良い流れ。味噌や、砂糖漬け、柿酢のように、うっかりしてるとボフッと!発酵してしまうエネルギッシュな熟成と違って、実に静かに凛と熟成してゆくみりん。色が琥珀色に変わってゆく様も、とても美しい。3年後。私はどこでどんな暮らしをしているのかしら。未来の自分へのタイムカプセルのような、保存食づくり。誰にも判断されない喜びと、確かな経験が積み上がっていったさき、身体に入れ込んで体得。この流れ、が何よりよい。

さてさて。ここ数日、糀の甘い香りが部屋を漂っていて、まとわりつく匂いが心地よく。味噌用の大豆を煮ている今日。毎年、春先に始まる米、大豆育てから、秋の収穫、冬の糀作りに味噌作り。もうすぐそこにはまた田んぼはじまり。と、あっとゆうまの巡る米時間。流れが、スキップのようにリズミカル。毎年、糀の米を蒸すときも大豆を茹でる時も、薪ストーブの上で作業するのだが、今年は、その薪にも、密かなこだわりを持ってやってみた。どこからやってきた燃料なのか。機械を使わず自分で裏山で拾った枝や、山羊の餌で残った枝や、竹など。歩いて自力で持って来れる距離のもの。に特化した。歩いて動ける範囲で暮らせる素材を与えてくれる、土、山、水があること、何より安堵感がある。

直径/高さ40㌢の藁の入れ物。名前は[わらいずみ]とゆうらしい。お櫃の保温庫である。天然素材でこさえられた昔の農具とか暮らしの道具とか、用途も名前も知らない物も、美しく想う。何故か惹かれてしまうので、古いし要らないとゆうのを、引き取っていってたらいつのまにか、ちょっとした民族博物館…。お櫃の保温はしないけど、湯たんぽや、冬の麹作りの時に活躍してくれる現役で、数日前、麹作りに使った後、干してたら、気づくと猫…!うっかり入りたくなるよなぁ。私だって、もっと大きければ入って眠りたい。さぞがしうっとりと気分がいいことだろう。

季節の木々草花。自分の足で歩いて、美しいと思った感情と一緒に、目の前の命を、ハサミで切り取って、花卉にいけられる人にちょっと憧れがある。そのまま大地にいてもらう方が本望な気がするが、恩恵をもっていけられたものを目にすると、お店の中でも、家の中でもハッとする空間がそこに生まれていて、その周りはちゃんと風が吹いている感じがする。食べるために獲物を仕留めることに本質を感じているので、飾りのために切り取る、ことに、心が躊躇するので、あんまりしていないが、久しぶりに飾り花をしたら、すぐに息子が「うわ!この花きれい」と言った。この花なに?ではなく「綺麗だな」ってゆう気持ちが先に出てくるのは実に野生的な感覚だな、なんて思いながら…うん。確かに綺麗。

ハヤトウリ。食べられる形で、そのまま種になる。形もとても美しい。サスティナブル&アート。わざわざ探さなくても、足元見れば、サスティナブルだからけのなかで、どこを見渡してもアートだらけの世界。そこで私たちは息をさせてもらっているんだな、と思う毎日。今年は、芽を出すのも、伸びるのもうんと早い。生きているアートたちが、変わっていくもの(温度や環境など)を制御して暮らそうとする人間にも平等に季節を運んできてくれる。尊い。ただただ、尊い。

今日は週に1回くらいしかつけないストーブ点火の日。点火するとすぐ寄ってくる猫たち。温度が見えるのかな。じんわり熱を感じるところまでが、猫ラインでわかって良い。こっち側もあっち側もあたたかいわけで、こっち側のじんわり熱伝わるラインが満席ゆえ、入れなかった方が、あちらに……。

10年前、初めて手作りされたこんにゃくを食べて驚いた。
弾力も味も、市販されているあのこんにゃくとはまるで別人で、とても、とっても旨い。いつか、こんにゃくを作ってみたいと想いが芽生えたこんにゃく事件だった。
こんにゃくは、芋からできている。そんなこと学校で習わないし、知らなかった…でもって、こんにゃく芋は種芋植えてから3年くらいした10-15センチくらいのものじゃないと、こんにゃくにしないのも。知らなかったぞー!
で。数年前から育ててみたけど、いつ間にか無くなってしまったりで、やっと!できた!やっと光を浴びたこんにゃく芋ちゃん。
芋はできた、じゃどうやって作るのか。こんにゃく芋と灰汁が混ざってできてることも……勿論随分前は知らなかったわけで、要は問わなかった自分が恥ずかしい。
2023年の大豆の殻燃やして灰汁を作って、芋と灰汁だけでできる。シンプルな材料にシンプルな工程だが、なんと長い年月と手間をかけてできる灰色の宝石。こんにゃくなのである。
初こんにゃく。結果はちょっとゆるくて、あの感動的なこんにゃく、にはならなかった、ので、灰汁をもっと濃ゆいのを作ることと、割合バランスが次回の課題。それでも、年月と手間が織り込まれた初こんにゃくは、私にとっては間違いなく宝石になった。食べて無くなっちゃうからなおのこと愛おしい。

最近、小雨ちゃんは干し草をこんな風につけていることが多い。何がついてようが美しいなぁ。今冬は大きな干し草の塊をもらって、その中に顔を突っ込んで食べている。でも、やっぱり好きなのは青草。竹の葉っぱもむしゃむしゃ食べる。しゅろだって、バリバリ食べる。小雨のこども、時雨ちゃん。ちょっと前まで窓からは顔が見えなかったのに、最近はちょっこり見えるまで成長。

誰か気づくかな、この子は烏骨鶏だってこと。息子は気づいてた。爪が5本あるってこと。着ないジーンズ生地のジャケットアップサイクル。子供にこれつかう?って聞いたら、僕も、私も、もうバッグはあるから。と…。私もあるけどつくちゃったんだよぅ。

1961年/地球は碧かった。2024年/苔は水の結晶を纏い輝いていた。たった2㎝まるこい神秘の宇宙。大きな宇宙でも小さな宇宙でも知らないことだらけ。見ようとすれば見えるけど、気にしていないと気づけない、誰もの側らにある小さな宇宙に無限大の広がり……

ねこ。もりもり。あっとゆうまに山盛り。あたたかいって気持ちいいもん。

雪があまりに眩しい白なので、普段、曖昧にただ白いと思っている山羊も烏骨鶏たちも、他の木々草、見ることのできる全ての目の前の色が、いつもより、より鮮明に映っている。ちょっと灰色の白、黄色の白、黒っぽい緑、黄色の緑…。一言では言い表せない絶妙な混ぜ合わせの色を感じさせてもらっていたことに気づく。私たちがここに来た年、つまり常夏のインドから帰ってきて1ヶ月後…雪が30−40㎝も積もって、人生で初めて雪かきをし、雪の中では歩けないこと、家の中でも洗った食器が凍る!とゆうことに驚いた(しかも1回じゃなくて、何度か15㎝以上の積雪があった)けれど、それ以来、降り続くこともほぼなく、ここ数年は積もることすら珍しい景色になってきた。今回もそう。降っているようで、杉山の影になって陽当たりの悪い家前の道雪が、すぐ溶けてしまうほどしか積もっていない。雪や冷えはやっぱり柔らかい方が…心体的にはありがたいのだけれど、総体的にみると、安心してはいられない。顕著に田んぼの水不足、湧き水の量も減って、感じ取れる範囲で既に影響がある。山の水分保有具合が、遠い海の環境にも影響を与えていると聞く。私たちは、パレットの上で、認知できないほど数えきれない色を混ぜ合わせていることで、生きられているのだ。今日も息ができる喜びに触れて、猫たちに温めてもらって(これが最高)!貴重な冬らしい冬。を楽しむことにしよう。

冷蔵庫を持たない(冷蔵庫の音とデザインが好きじゃないし)ので、鮮度が必要なものを、そもそも買いだめしない(できない!)のだが、ありがたいことに頂き物など重なるときがある。そんな時は、どうやって保存しようか、考えるのが結構面白い。今週は、猪肉と豆腐がお題。猪肉は塩漬けで熟成、野外の冷気で保管。豆腐は、硬めのお豆腐だったので、塩をすり込んでさらに水切りして、オイル漬け。ニンニクや唐辛子、胡椒も入れて、秋に絞っておいたカボス酢も入れると、ちょっとチーズ風味で美味しい。保存、乾物。万歳。

いただいていたちょっと厚めの黒のリネン生地。で、作った(もちろん足踏みミシンで!)太めの、たるっとゆるっとパンツ。譲ってくれた方は、エプロンにしようと思ったけど、厚めで重たいから使わなかった、とゆう理由で譲ってくれたのだけど、その重たさ、が、たるっとした表情を見せてくれて、私好みのゆるっと、脱力パンツになってくれた。長さも市販のでは、いつもちょっと短いのが気になるけど、自作するとサイズ感もいい。作るって、気分もいいし、何より使っていていつも気分がいい。

昔から、子供の名前といえば、太郎に花子。犬はポチ。猫といえばタマ。ゴキブリといえばキャンディちゃん(うちでは、ゴキブリとゆう響きが嫌なんじゃ?とゆうことで、キャンディちゃん。と呼んでいる)で。カラスといえば、カー子でしょう。山羊や烏骨鶏たちに残り飯や、野菜クズもろもろあげるので、空から狙ってくるカラスたち。無鉄砲に餌を探しにいくより、まずは川嵜家見てから考えよう、とゆう主婦的発想は素晴らしく、ご飯だけならどうぞどうぞと思うけれど、生まれてきたひよこ達も狙われるので、そこはご遠慮願いたい。年末産まれていた4羽も、ペロリ持って行かれてしまった…。これも自然界の循環なんだろうけれど…‥わかっちゃいるけど本心からは納得できない。なので。どこからかやってきたこのカー子!で、人間はおバカにも!プラスチックバレバレのカー子で頭の良いカラスに立ち向かうのであります。

寂心さんの樟木。さん、は熊本城から車で20分ほど北側のあたりに、おおよそ800年も住んでいる。1人暮らしなのに、大所帯のような佇まい。1本なのに森である。私は43年生きて、10回ちょっとも引っ越しているのに、800年、ずっと同じ場所。動かないものがあるから動いたものがわかるのか!ずっと同じ場所にいながら、周りがどんどん変化していったであろう、映像を早送りするように変わっていったこの100年、かもしれない。ウエスト13m、身長29mと安定の体型になるまで、人々の暮らしをずっと隣で観察してきた樟木さん。目を瞑って、樟木さんの小さな頃の環境ってこんなかな。って想像しながら、はるか過去に旅して、それから、目を開けて真っ直ぐ目の前にいる800歳。どんどん新芽を出して枝も伸ばし続けている姿、感じとれる聡明さが、言葉にできない私の大切な感覚になった。物質ではない、自分の糧になる時間や、感覚。過去と今と未来を含む大きな存在として、生きているだけでお互い、許されていた。ような気がする。会いに行ってとても良かった。

キャンドルナイト。ではなくて。時々ろうそくがちゃんとつくか点検しておく。減ってたらの残りを溶かしてひとつにまとめたり、芯を新しくしたり。小さな灯りだけど、これだけでも集まると結構暖かい。今日は日中に、点検して、全部灯したけど、炎。はやっぱり綺麗。そんなこと、とか、そんなものって思ってても、いざとゆう時、心の支えになるものはきっと、普通のこと。だと思う。普通の上等ではなくて、普通が上等。

根昆布。食べ応えがあって好み。今日のはねじねじ根昆布。なんだこのねじれ。めっちゃ素敵。昆布も海苔も、海藻も、魚だって、いつまで私たちは、いただくことができるのだろうか。こんなに美味しいから、続いていくであろう未来の人にも味わってほしい……。毎日少しづつ、昆布も海藻も、当たり前のようにいただける恩恵が、最高の設備/自然/と最高の運営/微生物や太陽/によって、奇跡の産物が産まれていることに最大の敬意をはらわなくては。海に行ったらビーチクリーン!すごい量のゴミが落ちてるのでお忘れなく。