
ハヤトウリ。食べられる形で、そのまま種になる。形もとても美しい。サスティナブル&アート。わざわざ探さなくても、足元見れば、サスティナブルだからけのなかで、どこを見渡してもアートだらけの世界。そこで私たちは息をさせてもらっているんだな、と思う毎日。今年は、芽を出すのも、伸びるのもうんと早い。生きているアートたちが、変わっていくもの(温度や環境など)を制御して暮らそうとする人間にも平等に季節を運んできてくれる。尊い。ただただ、尊い。

ハヤトウリ。食べられる形で、そのまま種になる。形もとても美しい。サスティナブル&アート。わざわざ探さなくても、足元見れば、サスティナブルだからけのなかで、どこを見渡してもアートだらけの世界。そこで私たちは息をさせてもらっているんだな、と思う毎日。今年は、芽を出すのも、伸びるのもうんと早い。生きているアートたちが、変わっていくもの(温度や環境など)を制御して暮らそうとする人間にも平等に季節を運んできてくれる。尊い。ただただ、尊い。

今日は週に1回くらいしかつけないストーブ点火の日。点火するとすぐ寄ってくる猫たち。温度が見えるのかな。じんわり熱を感じるところまでが、猫ラインでわかって良い。こっち側もあっち側もあたたかいわけで、こっち側のじんわり熱伝わるラインが満席ゆえ、入れなかった方が、あちらに……。

10年前、初めて手作りされたこんにゃくを食べて驚いた。
弾力も味も、市販されているあのこんにゃくとはまるで別人で、とても、とっても旨い。いつか、こんにゃくを作ってみたいと想いが芽生えたこんにゃく事件だった。
こんにゃくは、芋からできている。そんなこと学校で習わないし、知らなかった…でもって、こんにゃく芋は種芋植えてから3年くらいした10-15センチくらいのものじゃないと、こんにゃくにしないのも。知らなかったぞー!
で。数年前から育ててみたけど、いつ間にか無くなってしまったりで、やっと!できた!やっと光を浴びたこんにゃく芋ちゃん。
芋はできた、じゃどうやって作るのか。こんにゃく芋と灰汁が混ざってできてることも……勿論随分前は知らなかったわけで、要は問わなかった自分が恥ずかしい。
2023年の大豆の殻燃やして灰汁を作って、芋と灰汁だけでできる。シンプルな材料にシンプルな工程だが、なんと長い年月と手間をかけてできる灰色の宝石。こんにゃくなのである。
初こんにゃく。結果はちょっとゆるくて、あの感動的なこんにゃく、にはならなかった、ので、灰汁をもっと濃ゆいのを作ることと、割合バランスが次回の課題。それでも、年月と手間が織り込まれた初こんにゃくは、私にとっては間違いなく宝石になった。食べて無くなっちゃうからなおのこと愛おしい。

最近、小雨ちゃんは干し草をこんな風につけていることが多い。何がついてようが美しいなぁ。今冬は大きな干し草の塊をもらって、その中に顔を突っ込んで食べている。でも、やっぱり好きなのは青草。竹の葉っぱもむしゃむしゃ食べる。しゅろだって、バリバリ食べる。小雨のこども、時雨ちゃん。ちょっと前まで窓からは顔が見えなかったのに、最近はちょっこり見えるまで成長。

誰か気づくかな、この子は烏骨鶏だってこと。息子は気づいてた。爪が5本あるってこと。着ないジーンズ生地のジャケットアップサイクル。子供にこれつかう?って聞いたら、僕も、私も、もうバッグはあるから。と…。私もあるけどつくちゃったんだよぅ。

1961年/地球は碧かった。2024年/苔は水の結晶を纏い輝いていた。たった2㎝まるこい神秘の宇宙。大きな宇宙でも小さな宇宙でも知らないことだらけ。見ようとすれば見えるけど、気にしていないと気づけない、誰もの側らにある小さな宇宙に無限大の広がり……

ねこ。もりもり。あっとゆうまに山盛り。あたたかいって気持ちいいもん。

雪があまりに眩しい白なので、普段、曖昧にただ白いと思っている山羊も烏骨鶏たちも、他の木々草、見ることのできる全ての目の前の色が、いつもより、より鮮明に映っている。ちょっと灰色の白、黄色の白、黒っぽい緑、黄色の緑…。一言では言い表せない絶妙な混ぜ合わせの色を感じさせてもらっていたことに気づく。私たちがここに来た年、つまり常夏のインドから帰ってきて1ヶ月後…雪が30−40㎝も積もって、人生で初めて雪かきをし、雪の中では歩けないこと、家の中でも洗った食器が凍る!とゆうことに驚いた(しかも1回じゃなくて、何度か15㎝以上の積雪があった)けれど、それ以来、降り続くこともほぼなく、ここ数年は積もることすら珍しい景色になってきた。今回もそう。降っているようで、杉山の影になって陽当たりの悪い家前の道雪が、すぐ溶けてしまうほどしか積もっていない。雪や冷えはやっぱり柔らかい方が…心体的にはありがたいのだけれど、総体的にみると、安心してはいられない。顕著に田んぼの水不足、湧き水の量も減って、感じ取れる範囲で既に影響がある。山の水分保有具合が、遠い海の環境にも影響を与えていると聞く。私たちは、パレットの上で、認知できないほど数えきれない色を混ぜ合わせていることで、生きられているのだ。今日も息ができる喜びに触れて、猫たちに温めてもらって(これが最高)!貴重な冬らしい冬。を楽しむことにしよう。

冷蔵庫を持たない(冷蔵庫の音とデザインが好きじゃないし)ので、鮮度が必要なものを、そもそも買いだめしない(できない!)のだが、ありがたいことに頂き物など重なるときがある。そんな時は、どうやって保存しようか、考えるのが結構面白い。今週は、猪肉と豆腐がお題。猪肉は塩漬けで熟成、野外の冷気で保管。豆腐は、硬めのお豆腐だったので、塩をすり込んでさらに水切りして、オイル漬け。ニンニクや唐辛子、胡椒も入れて、秋に絞っておいたカボス酢も入れると、ちょっとチーズ風味で美味しい。保存、乾物。万歳。

いただいていたちょっと厚めの黒のリネン生地。で、作った(もちろん足踏みミシンで!)太めの、たるっとゆるっとパンツ。譲ってくれた方は、エプロンにしようと思ったけど、厚めで重たいから使わなかった、とゆう理由で譲ってくれたのだけど、その重たさ、が、たるっとした表情を見せてくれて、私好みのゆるっと、脱力パンツになってくれた。長さも市販のでは、いつもちょっと短いのが気になるけど、自作するとサイズ感もいい。作るって、気分もいいし、何より使っていていつも気分がいい。

昔から、子供の名前といえば、太郎に花子。犬はポチ。猫といえばタマ。ゴキブリといえばキャンディちゃん(うちでは、ゴキブリとゆう響きが嫌なんじゃ?とゆうことで、キャンディちゃん。と呼んでいる)で。カラスといえば、カー子でしょう。山羊や烏骨鶏たちに残り飯や、野菜クズもろもろあげるので、空から狙ってくるカラスたち。無鉄砲に餌を探しにいくより、まずは川嵜家見てから考えよう、とゆう主婦的発想は素晴らしく、ご飯だけならどうぞどうぞと思うけれど、生まれてきたひよこ達も狙われるので、そこはご遠慮願いたい。年末産まれていた4羽も、ペロリ持って行かれてしまった…。これも自然界の循環なんだろうけれど…‥わかっちゃいるけど本心からは納得できない。なので。どこからかやってきたこのカー子!で、人間はおバカにも!プラスチックバレバレのカー子で頭の良いカラスに立ち向かうのであります。

寂心さんの樟木。さん、は熊本城から車で20分ほど北側のあたりに、おおよそ800年も住んでいる。1人暮らしなのに、大所帯のような佇まい。1本なのに森である。私は43年生きて、10回ちょっとも引っ越しているのに、800年、ずっと同じ場所。動かないものがあるから動いたものがわかるのか!ずっと同じ場所にいながら、周りがどんどん変化していったであろう、映像を早送りするように変わっていったこの100年、かもしれない。ウエスト13m、身長29mと安定の体型になるまで、人々の暮らしをずっと隣で観察してきた樟木さん。目を瞑って、樟木さんの小さな頃の環境ってこんなかな。って想像しながら、はるか過去に旅して、それから、目を開けて真っ直ぐ目の前にいる800歳。どんどん新芽を出して枝も伸ばし続けている姿、感じとれる聡明さが、言葉にできない私の大切な感覚になった。物質ではない、自分の糧になる時間や、感覚。過去と今と未来を含む大きな存在として、生きているだけでお互い、許されていた。ような気がする。会いに行ってとても良かった。

キャンドルナイト。ではなくて。時々ろうそくがちゃんとつくか点検しておく。減ってたらの残りを溶かしてひとつにまとめたり、芯を新しくしたり。小さな灯りだけど、これだけでも集まると結構暖かい。今日は日中に、点検して、全部灯したけど、炎。はやっぱり綺麗。そんなこと、とか、そんなものって思ってても、いざとゆう時、心の支えになるものはきっと、普通のこと。だと思う。普通の上等ではなくて、普通が上等。

根昆布。食べ応えがあって好み。今日のはねじねじ根昆布。なんだこのねじれ。めっちゃ素敵。昆布も海苔も、海藻も、魚だって、いつまで私たちは、いただくことができるのだろうか。こんなに美味しいから、続いていくであろう未来の人にも味わってほしい……。毎日少しづつ、昆布も海藻も、当たり前のようにいただける恩恵が、最高の設備/自然/と最高の運営/微生物や太陽/によって、奇跡の産物が産まれていることに最大の敬意をはらわなくては。海に行ったらビーチクリーン!すごい量のゴミが落ちてるのでお忘れなく。

言葉にできないような幸福感。がある空間。珈琲を淹れて、足踏みミシンで修理したり、リメイクしたりしながら、山羊がゴソゴソしているのを目で愛でて、ツンツンしている烏骨鶏たちを、目で撫でる。膝の上には猫がいて、足踏みだから、よいよいと動いても、なんのその。ぐっすり眠って、おかげさまで、こちらはぬくぬく。これからも、この空間のような場所でいられる時間が、生きている時間の中で積み重なるように、暮らしてゆきたい。=収入がない=外に出ていけない=家でゆっくりするしかない……!いいわ。それ。

もつれた糸をほどいていくのは難しい、いや、時間がかかる、いや、1番エネルギーを使うのは、ほどくぞ、とゆう意気込み気合い。かもしれない。もしくは、意識を維持できるかどうか。かもしれない。もつれたまま、もう面倒くさい、と放り投げてしまったらそのままゴミ箱へ、どこかで誰かが無かったことにしてくれる。もしくは。もし、意識を維持できて、ほどくことができたら、その糸が再び他のものに生まれ変わっていくことができるかもしれない。選択するとゆうのは、見えないこと、想像しうること、と、見えること、の重なり合いなのかな。
なんて、思ってる、ぐちゃぐちゃにもつれた自分。

自家製小ぶりの黒大豆。華奢で艶やかでとても美しい黒大豆ちゃん。どうしてもこの品種が良かったわけじゃなくて、/友達がずいぶん前に買ってたけど忘れてたから、烏骨鶏たちのご飯にあげて/、ともらった、黒大豆、を、烏骨鶏にあげないで、土に蒔いてみたら、とても強く、たくさん種をつけてくれるので、継いでもう10年近く。豆餅の準備でフライパンで炒ったら、毎回、思うこと。真っ黒な無口な大豆たちが、皮が弾けて笑い始める感じが、なんとも可愛らしくて仕方がない。笑う黒大豆。

鏡餅より餅座布団。
お正月だけじゃぁもったいない。冬の間中頻繁にいただきたい、お餅。今年は、餅米を余裕もって作れたので、玄米餅三昧。とても喜び深い。

無病息災を願って7日にいただく //七草粥// を今年もスーパーに出回る前、5日の今日いただく。とゆうのも。娘が、田舎ならではのアルバイト/七草のパック詰バイトに、去年に引き続き行ったので、最終日パック2つ持って帰宅。
スーパーに出回るとゆうことは、どこかで生産され、パック詰されて、市場にでて、そこからスーパーに。28日からすでにパック詰が始まり、年始3日くらいには、何千個ものパック出荷完了。
寒い中、年末年始働いていてくれる方がいて、多くの方が無病息災にあやかれるのである。
七草、煮込むより、薪ストーブの上で土鍋でじっくり粥になった/玄米粥/に、塩揉みして浅漬け風にのっけていただくのが1番美味しいと思う。本来理由あって7日にいただくけれど…先走り七草粥だけれど…鮮度がいいうちにいただくことで、無病息災にさらなる期待を願うのが、人間の欲望ってやつでしょうか。無病息災の前に、そもそもただすべきところがありそうです……。

2024のはじまり
目が覚めたら、お腹の上にも、背中にもぴったり、足元と股の間にも、ぬくぬくねこがいて、至福のお布団の中でゆるゆる時間…。このシチュエーションで、朝陽の光がすっと刺したら、さぞ気持ちよかろうねと思うけれど、、日当たりの悪いうちには、残念ながら光は見えなかった。ぼんやりと意識が鮮明になってきて、あ、そうか、年が明けて、2024年か。初夢見たのかな。私…。
……思い出せない。熟睡、とゆうのか、爆睡とゆうのか。安眠とゆうのか。思い出せない。
そんなことを思いながら、昨日。からの今日。12月31日から1月1日。2023年。からの2024年。時間が積み重なることで、昨日が今日になって、31日が1日になって、2023年が2024年になった。寝る時と起きた自分は同じ空間にいたのに、私の認識が変わった。とゆうことを考えた。
時間とゆう概念は、うんも言わさぬ強制力が強い。先日、ロードオブザリングを見直したんだけど、その中で、/明けの明星、東の空をみよ/とゆう言葉があって、なんかいいなぁと思った。明けの明朝。は早朝なんだけど、時間ではなく、現象で時間を伝えているところが、なんて、豊かなんだろうと。陽が登って陽が沈んだら、今日ではなく別の日がくる。別の日=明日になったら、また陽が登って陽が沈んで、また今日じゃない別の日になる。現象の積み重ねが時間であり、認識なんだ…。
今年も小さな目の前の景色も、壮大な景色も、いきとしいける生き物たちの美しさを、みていきたい。