
セイタカアワダチソウ
草たちが深緑から少しづつ秋のみどりに変わっていく中で そこだけスポットライトを浴びたように艶やかに光るセイタカアワダチソウ
菊のような青みの香りと ほのかな甘さが ひつこくないデザートのようで 後味スッキリ 私は結構好きだな ちなみに山羊も黄色の穂先は大好き
ひさしぶりに染めをしたくなる艶やかな存在

セイタカアワダチソウ
草たちが深緑から少しづつ秋のみどりに変わっていく中で そこだけスポットライトを浴びたように艶やかに光るセイタカアワダチソウ
菊のような青みの香りと ほのかな甘さが ひつこくないデザートのようで 後味スッキリ 私は結構好きだな ちなみに山羊も黄色の穂先は大好き
ひさしぶりに染めをしたくなる艶やかな存在

最近 感情の膿のようなものが出てくる
それをトラウマとゆうのか 潜在意識の一部が浮上してくるとゆうのか フラッシュバックともゆうのかもしれない
一昨日から稲刈りを始めた 快晴の初日 足場もよくザクザクとリズムよく刈進め 喜び溢れ気分がとても良かった 2日目前半は前日と同じくだったのだが 後半ぬかるみがひどくはかどらなくなってしまった
稲刈りしたことある人は感覚で捉えていると思うが 手刈りの稲刈りは結構 清々しい快楽で しかも目の前の事を淡々とこなしていく作業は実に瞑想的 己しらずと内観する時間に入っていくことが多い 1人で刈っていたのでなおさら 深いところに入っていったのかもしれない
ぬかるみに足を取られ下半身からぬちゃーとした泥の気持ち悪さが 全身に震えのように伝わる 真夏に水を張った状態での草取りの時とは全く違う感覚で とにかく不快で 体が拒否する感じ
気持ちいいはずの稲刈りが気持ちよくない 作業ができないことへの妙な怒り だけれどもやめられない悲しさ虚しさ そんな感情を抱きながらもゆっくり刈進めていくと前に進んでいる喜び…昨日からのただただ快、の感覚が 喜怒哀楽のめまぐるしく湧き起こってる感情がもつれにもつれて 体もぬかるみに入るたびに 足先からぞわぞわ不快感が伝わってきていたとき 急に
吐き気が… 稲刈りしながら吐き気なんてありえない
あ、あれ この感覚どこかで過去に合ったような… と思った瞬間
フラッシュバック
若い頃付き合い初めの彼とsexしていたとき 突然あちらは1人でやり始めたのだ!え 2人でするからいんでないの?なんでやねーんと突っ込みを心の中で入れたものの あまりの衝撃に さっきの快からの下落に 感情が高層ビルから落ちてバラバラになってしまったのだ
ふと我にかえり 目の前の起こっていることが他人が見ているような感覚で見えて 落ちた感情を急いで拾い集めた時に もつれたのだ ぐちゃぐちゃに 稲刈りの時のように
怒り 悲しさ 虚しさ 目の前で快になってゆく彼を見て 彼にとっては喜びなんだーと思う気持ち…
その時 そのやるせなく なんとも言えない感情を重たーい絶対開かないような箱に入れて 鍵を何重にもかけて海の底へ沈んでゆくのを水面から見た 太陽の光がきらきら反射するのを見ながら 見えなくなるまでちゃんと見た なんちゃないことになった
はずだった
が10数年の時を経て 何かの間違いでその箱が浮上してきてしまった なんちゃないことになっていた私はなんちゃあったことに今更気づいて あまりに感情がもつれたので 吐き気すらしたその時 吐き気すら消してしまった自分がいた事を 稲刈りの時に思い出してしまった
誰かにとってはそんなこと なことも 自分の中では大きなことだったりするわけで 体の感覚と感情がたまたま近い感覚になったので 鍵が開いてしまったのだろう 引っ越してから 静かに自分と向き合っている時間が多いので 小さなそんな箱が浮上する回数が増えてきていたが まぁまぁ大きな箱が上がってきた
浮き上がってきてしまったものはしょうがない 沈めてきた人生を見直そうと思っている今だからこそ ちゃんと箱の前に正座して鍵を開けたい 次に上がってくる箱はどんな玉手箱なのだろうか さて今日も稲刈りだ 写真のような美しい世界に浸りにいこう
現在 過去 未来 時間の軸は後ろにも前にもなく同時進行だそうだが 昨日の私は過去にも今にも未来にも同時に存在しているような気がしたな

暖かな陽射しの中で栗しごと。家の中はもう寒いくらいの季節になったが お日様が照らすところはそこだけ南国
今年は拾える栗がそこそこで 栗に追われることなくちょうど良いくらいだ…と 怠けていたら保存できる物も少ないので やはり ある時には作業していると食べるものに困らない豊かな未来があるのだろう
すでに渋皮煮の瓶詰めたちを作ったので この栗たちは塩漬け瓶詰めにしてみようかな 何度か水煮で熱湯脱気までしっかりして保存もしてきたが ものすごい発酵力が強く 完璧に脱気をしっかりしてもぼふーっとなってしまった:::塩を多めに入れて保存したらどうだろうか…
保存は実験 農は禅…途中の精神的 切磋と、身体的 琢磨が本質で 作物はおまけ と 私の暮らしのお師匠さんが言ってた 同じように作業しても できる時もできない時もあるので その過程も楽しんでおかないと できない時に辛すぎるのが農作業
栗から教わるとらわれから解脱する方法 イガを脱ぎ捨てよー

8月終わりに産まれた双子…待望の黒色の山羊も…今回のお産も超安産で 珍しく起きたらもう産まれていて 出産の時間に立ち会えず残念だった 誰の援助も受けず自分だけで産みあげる(本来人間もそうなんだろうけれど) 小雨ちゃんには絶対的に敵わない強さがあると尊敬している
黒が叢雨:ムラサメ 白が糸雨:イトサメ
数年前の梅雨時期に最初の山羊が来た事から 生まれてきた子たち全てに雨に関係する名前をつけてきていて 今回もしばらく迷って決まったぴったりの名前
ちょうどその時期に |エモい古語辞典|とゆう本を借りていて 古語って(日本語って) ひとつの単語で背景・情景含めた美しい単語が多くて素敵やなぁと 辞典ながら小説のように楽しんでいた
叢雨も糸雨もそこで学んだ言葉で 叢雨は激しい雨や柔らかな雨が目まぐるしくふる様 ちょうど今年の夏の天気が人間の心模様のようだったから ぴったりだと思った
糸雨は秋の雨の季語らしく その名のとうり糸のように降る雨 秋にはまだ早い季節だったけれど 糸雨のような雨も多く降った今年にぴったりなのでは と長女と話し合って 黒が叢雨 白が糸雨しかないでしょ となった
1ヶ月ちょっとたった今はひとまわり大きくなって少しづつ柔らかな草も食べ始めている 山羊小屋に入ると寄ってきては戯れてきて もぅきゅぅーんだ 甘く噛みついてみたり 背中に乗っかってみたり…山羊になって原っぱで一緒に遊びたいー
どんな風に世界と交わっていくのか 健やかに生きてほしい

山羊用のとうもろこしをたくさんいただいた…譲ってくれた人も山羊と暮らしていて 自分たちでわざわざ育てて、あげるためだったはずなのに 乾燥さえしていけば冬の間の食料としてどれだけあっても困らないはずなのに こんなに沢山譲ってくれた理由と気持ちがとても伝わってきた。/他の人からしたら 飼料とうもろこしなんてクズなんですけどお宅なら宝でしょう/と。
私が何をしたとゆう意識なくしたことで こんなに大切なものを差し出してもらうほどの何かに変わっていたことが 正直驚きで 逆にゆうと その人にとっては ものすごく大きな何かが 私の何かしたわけじゃない何か で大きくうねりだし動いたことになったらしい。
心の内に伏せておくには もんやりしすぎるものは 良きタイミングで流れてゆく時に流してあげることが こんなにも人の顔を清らかにさせるのか…
歳を重ねても年下だろうが関係なく素直なその気持ちと感謝を伝えてくれたその姿…82歳の大事なお友達の顔が しわもシミも全て光さしたように美しく見えた
そんなつもりはなかったけれど相手が気分晴れてよかったなも流れのひとつ だけれども 見て見ぬふりしている自分の中のもの そろそろ少しづつ表に出して片付けていく時期になってきたのかな なんて とうもろこしの 一見綺麗に配列された 実とゆう種をぼろぼろと崩しながら 次のために育っていく時にはばらけないと育たないことに 親近感を抱いている私がいた

ぷよぷよパン
本当はかっこいいミニフランスパンのはずが オーブンの都合上最大限焼こうと思ったら、ぷよぷよパンになった
今回はロデブ変形じゃなくて ちゃんと捏ねた 82歳のお友達のパンマスターに来てもらって 色々伝授してもらう
捏ねるって面倒臭いと思っていたけれど案外できる感じで パンへの偏見がちょっと和らいだ
にしても80超えてその力強い感じでパン捏ねてるんですね!と思ったら 元気でいると色々できるなぁと感心してしまった
ハード系のパンが好きで作っている彼女だけど 歯医者には年寄りの歯で硬いものは食べるな と言われているらしい
ハード系のパンが好きな人は 柔らかいパンはにちゃにちゃするだけで物足りないし!
噛み締めてよく噛んで 脳が刺激されていいような気がするけどね
焼きたて手作りパンと 採れたてバジル トマト 烏骨鶏の炒り卵サンドでうまいうまいと食べた

黒乳首パンに続き UFOパン
黒乳首パンもこのパンもロデヴ生地なので水分たっぷりのもっちり
500gのレシピで焼いていたがあっとゆう間になくなるので1kgで焼いたらやっと 余韻が残る感じで食せるようになった 結構巨大そして結構ずっしり
UFOパンともキャッチャーマスクパンともゆう

練習もかねてパン日和なこの頃
黒乳首パン
レーズン入りにしたら思いのホカ乳首が焦げた件
そもそも黒乳首って言葉があるんかい?と思って検索したら乙女の悩みの黒乳首だったのか
その思いを切なくも|哀愁の黒乳首|とゆう歌にしてしまった嘉門達夫さんがいた なかなか良き歌詞だ
もうおばさんの私は 黒かろうがピンクだろうが乳首は乳首でしょーが。と思うけれど…

夕暮れ
ひぐらしの鳴き声が倍音となって 私とまわりを容赦なく浸してゆく 湧いてくるのか降ってくるのかわからない程の渦になる
光は明るいのに暗く 暗いのに明るく 濃淡がはっきりして妙に艶かしく浮き上がって見える森の木々たち
その世界に身を沈めたら 理性での思考も行動も放棄して ただぼんやりと 全てを包んでいる色と音に ただただ身をまかせ たゆたっていたくなる
そのひとときを愛撫していなかったなんて…
死ぬまで とことわのすきまに溺れていたい

数年ぶりにパンを作ってみた。
作る時間もろもろと 食べきってしまう速度を考えると 手作りパンは 現代的にゆうと効率利便のコスパ合わない王者だと思うパン様。が…なぜか 久しぶりにパン様でも作ってみるか〜とゆうゆとり(正しくゆうと暇)があるからだろう。
ほぼニートで鬱病的発達障害と言える私が 社会との関わりを拒絶し 暇とゆとりと豊かさがあるのでパンを作ってみる
何度の何グラムを何時間管理して とゆうレシピは読むだけで白目になってむりー::となるので 混ぜるだけのパンしか作れない(そもそも作る気がない) そんな私が唯一作れるかもと思うパンがロデヴ。(勿論 作れるとゆうのは自家用での意味で)
フランスのロデヴとゆう地名から名前がついたそのパンは 水分が90%くらい(多くのパンは65%ほど)含まれていてもっちりとみずみずしく とても美味しい。砂糖は入れず 粉と塩と水分と膨らませるものだけのシンプルさも良い。今回は思い立って作るのでイーストで膨らませた。
待てず-待つのではなくほぼ放置で 計れず-粉500gに水400ml の簡単測量 成形できず-ほぼヘラでぺにょんぺにょんするだけ のとにかく手抜きでできる 自家用レベルのロデヴ。
ほら。それぽいのが出来上がってる! ロデヴとゆうには本家におこがましくもあるので ぺにょんパンと名づける。

山羊に帽子を食べられる。
うっかり帽子をかぶったまま山羊小屋に入って座ろうもんなら 帽子のフチから食べられる。
はじめての日は、烏骨鶏にごはんをあげていた時。急に頭が引っ張られぐいぐいん!と左右に揺さぶられ ばさぼそとゆう音が耳そばで響き、何が起きたのか理解ができなかった。はっと我に返った時は山羊が真横に急接近(慣れているので怖いわけではない)。私にとっては日除けの帽子が 山羊にとっては食べられる素材だ!とゆう認識で、帽子にかじりつかれている!とゆうことが理解できた。
驚いたものの、そのまま ようは 帽子をかぶったまま食べられている状況も悪くないなと、あえてじっとしていたら、耳元でむぞむぞと噛み砕く音に、都度引っ張られる感覚が なんだかなんだか…官能的だった。ちなみにかじってくるのは妊婦のメス。
今世界中で 自分がかぶったままの状態で 帽子を山羊に食べられている人はいかほどいるんだろう、とも、思い巡らし なんだか幸福感がもよもよとと湧いてきた。もよもよ…どころではなかった。どろんどろんと吹き出てきた。とても気分がよかった。誰にゆうわけでもないが 社会に馴染めないほぼニートの私は毎日1人でこんな類のあれやこれを堪能している。世界は官能的で美しい。

麗しの蓮
毎年3月あたりに株分し、じわりじわりと増えているはす族。5月の引っ越しで石臼(重くて運べないため)に入っていたハスを更に株分けた為 蓮に嫌な想いさせてさせちゃって今年は咲かないかも…なんて思いつつ待っていたら、思いの外たくさんの蕾が出てきてくれている。
今季初開花した日は 数年大切に想ってきた水曜ヨガ部の解散の翌朝。なんだか清々しく晴々しく そして初々しく 開花を眺めた。
以前の住処は道下にあり 通りがかる人が(といっても田舎の さらに山に向かう道なので限られるが…)蓮の開花時期には 車を少し停めて見たりもしていたが、今回の住処は道上になったため 道を通りががっても見えなくなった(さらに こちらの方が山の中で通りがからなくなったし…)
道上に来れる何かを持っていないと見れないと思うと貴重さが増すが、そもそも誰かではなく すべてに向けて咲き誇っている蓮に祝福を捧げるも 長い日々をつぼみで過ごし たった1、2日で花びらを散らしてしまう潔い優美な様。そこにさらに魅了されてしまう。

11年住ませてもらった場所を離れ 引っ越した。もちろん山羊も烏骨鶏も猫たちもみんな一緒に。
古家から古家へ。11年住んだ家も改装と瓦礫の片づけから始まったけれど…
4月に引っ越し先が決まっていなかったのに、5月7日午前に契約して、その午後には天井と床が剥がし ある意味、深部が身包み剥がされ 会った初日に熱烈に求め合うような愛が始まってしまった。笑。改装が始まり 10日後には拠点を今の新居に移し 改装と引っ越し だけなら余裕だが、裏山の放置されすぎた薮を開拓、さらに 夏野菜を植える場所の確保と田んぼ までやりきって 5-6月はとにかく自分たちのために時間を費やし、働き動いた。お陰で身体が少し締まって体幹もきたわれた。疲れることなく前より一層健やかだ。いいことしか起こっていない。
手放したこともあるので7月は挨拶回りで いろんなことから本当の意味で解放されるのは8月かもしれない。が、とにかく引っ越してよかった。新居に巡り合えたことも ここまでの流れも 自分たちの意思とは別次元で とても大きな揺るぎない力が働いてここに連れてきてもらったとしか言いようのない出来事だった。
出来だけ 執着と所有から離れてここにきたら 桃源郷とも楽園とも思える美しいところで 毎日が滋養溢れて 私以外の創造されて生きているものに 生かされて生きて 喜び溢れて 五感全てが愛でられて愛でてを繰り返す毎日だ。現代社会では煙たがられる 暑い日も雨の日も雑草も 虫たちも全てが必要不可欠で この世にある。ことが身に染みてよくわかる。
ことほぐ。とゆう響きがとても美しいなぁと思っていて いつか誰かにどこかに向けて使える時が来たらと思っていた。
ことほぐ。を 本来の完璧なものすべてに捧げたい。

醤油を仕込んでから、あれ、もう1ヶ月…最後の冬籠り期間を楽しんでいた、のかもしれない。し、春を待ち侘びていた、のかもしれない。
冬から春の陽気になって、寒さからの緊張から解き放たれつつある心身が、太陽や土を欲し、内側から突き動かされる感覚が鋭くなってくる。烏骨鶏たちも急に卵を産み始め、抱卵真っ最中。猫だって山羊だって、ひだまりにでて ただ太陽と戯れ、春風を掛け布団にごろごろしている。下手したら、年中同じサイクルで暮らし、 (睡眠時間だっ夏冬は違うくて当たり前なのに) 時間と概念に取り囲まれて生きている人間にとって、彼らの営みがいかに、魂に従順に、そして大切な時間を過ごしているか、無理していない分、素直にふうわりと伝わってくる。猫たち、鳥たち、ヤギたち、そして微生物たち、草木たち、一緒にいてくれてありがとう。でしかない。息ができることも筆頭に、人間だけ。で幸福な形。はありえない。
春から、長女のお弁当作り(本人がやる気がでればいいと思う)が始まり、面倒だろうなと思っていた。美味しいお弁当を作る、とゆうことよりも、思いの外、早起きもでき小さな箱にいかに詰めるか。とゆうところに面白さがあることに気づく。どうやら、空間を整理する、のが、(うまいかは別として) 小さくても大きくても、それが結構心地よいのだ。
空間。/から の ま/ 詰めるうめることに囚われないでいると、空のままであることで、豊潤が満たすこともあるだろう。お弁当が、不意打ちで空でも、ちょっと面白い、かもしれない…