木は誰のものでもなく生きている

家の中から見える景色。剪定とゆう剪定をしないので、小さな森のようになった、椿と金木犀、それから南天、もろもろたち。冬の暖かい日にちょっと切ろうかなぁ、なんてぼんやりみていたら、小さな名前も知らない小鳥たちやイシタタキが、小さな実や枯れた花の中から何かを食べに来た。あ、この子達は木がなくなったら困るかな、って思ったのだけど、まさか。ここがなくなってもきっとよそにいいところを知っているはずで。本当に気づかずに、見逃していってしまうのは、鳥ではなく、私なのかも。この近距離で野鳥に出会える、こちらは部屋の中なのに、逃げないよう息を殺してみせてもらっている、とゆう環境。なのかもしれない。ふと。思ったこと。最近|ビーバー族のしるし|とゆう本を読んだのですが、インディアン|先住民の子供が、|どうして1人の人間が土地を持ってるんだ?土地は空気と同じで、その上に住んでいるみんなのもので、ビーバーのものでもあり、鹿のものでもある、鹿が土地を持っているってゆうのか?|….水利権、だの、地籍調査だの、境目、所有者、そんなことが大切な私たちって….今のところ賃貸で暮らしているので、そんなこと思ったことないのですが、お金、をそこに投資することによって、自分の土地。とゆう概念に束縛されるようになるのかなぁ、なんて、ぼんやり考えました。

comment

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中