
練習もかねてパン日和なこの頃
黒乳首パン
レーズン入りにしたら思いのホカ乳首が焦げた件
そもそも黒乳首って言葉があるんかい?と思って検索したら乙女の悩みの黒乳首だったのか
その思いを切なくも|哀愁の黒乳首|とゆう歌にしてしまった嘉門達夫さんがいた なかなか良き歌詞だ
もうおばさんの私は 黒かろうがピンクだろうが乳首は乳首でしょーが。と思うけれど…

練習もかねてパン日和なこの頃
黒乳首パン
レーズン入りにしたら思いのホカ乳首が焦げた件
そもそも黒乳首って言葉があるんかい?と思って検索したら乙女の悩みの黒乳首だったのか
その思いを切なくも|哀愁の黒乳首|とゆう歌にしてしまった嘉門達夫さんがいた なかなか良き歌詞だ
もうおばさんの私は 黒かろうがピンクだろうが乳首は乳首でしょーが。と思うけれど…

夕暮れ
ひぐらしの鳴き声が倍音となって 私とまわりを容赦なく浸してゆく 湧いてくるのか降ってくるのかわからない程の渦になる
光は明るいのに暗く 暗いのに明るく 濃淡がはっきりして妙に艶かしく浮き上がって見える森の木々たち
その世界に身を沈めたら 理性での思考も行動も放棄して ただぼんやりと 全てを包んでいる色と音に ただただ身をまかせ たゆたっていたくなる
そのひとときを愛撫していなかったなんて…
死ぬまで とことわのすきまに溺れていたい

数年ぶりにパンを作ってみた。
作る時間もろもろと 食べきってしまう速度を考えると 手作りパンは 現代的にゆうと効率利便のコスパ合わない王者だと思うパン様。が…なぜか 久しぶりにパン様でも作ってみるか〜とゆうゆとり(正しくゆうと暇)があるからだろう。
ほぼニートで鬱病的発達障害と言える私が 社会との関わりを拒絶し 暇とゆとりと豊かさがあるのでパンを作ってみる
何度の何グラムを何時間管理して とゆうレシピは読むだけで白目になってむりー::となるので 混ぜるだけのパンしか作れない(そもそも作る気がない) そんな私が唯一作れるかもと思うパンがロデヴ。(勿論 作れるとゆうのは自家用での意味で)
フランスのロデヴとゆう地名から名前がついたそのパンは 水分が90%くらい(多くのパンは65%ほど)含まれていてもっちりとみずみずしく とても美味しい。砂糖は入れず 粉と塩と水分と膨らませるものだけのシンプルさも良い。今回は思い立って作るのでイーストで膨らませた。
待てず-待つのではなくほぼ放置で 計れず-粉500gに水400ml の簡単測量 成形できず-ほぼヘラでぺにょんぺにょんするだけ のとにかく手抜きでできる 自家用レベルのロデヴ。
ほら。それぽいのが出来上がってる! ロデヴとゆうには本家におこがましくもあるので ぺにょんパンと名づける。

山羊に帽子を食べられる。
うっかり帽子をかぶったまま山羊小屋に入って座ろうもんなら 帽子のフチから食べられる。
はじめての日は、烏骨鶏にごはんをあげていた時。急に頭が引っ張られぐいぐいん!と左右に揺さぶられ ばさぼそとゆう音が耳そばで響き、何が起きたのか理解ができなかった。はっと我に返った時は山羊が真横に急接近(慣れているので怖いわけではない)。私にとっては日除けの帽子が 山羊にとっては食べられる素材だ!とゆう認識で、帽子にかじりつかれている!とゆうことが理解できた。
驚いたものの、そのまま ようは 帽子をかぶったまま食べられている状況も悪くないなと、あえてじっとしていたら、耳元でむぞむぞと噛み砕く音に、都度引っ張られる感覚が なんだかなんだか…官能的だった。ちなみにかじってくるのは妊婦のメス。
今世界中で 自分がかぶったままの状態で 帽子を山羊に食べられている人はいかほどいるんだろう、とも、思い巡らし なんだか幸福感がもよもよとと湧いてきた。もよもよ…どころではなかった。どろんどろんと吹き出てきた。とても気分がよかった。誰にゆうわけでもないが 社会に馴染めないほぼニートの私は毎日1人でこんな類のあれやこれを堪能している。世界は官能的で美しい。

麗しの蓮
毎年3月あたりに株分し、じわりじわりと増えているはす族。5月の引っ越しで石臼(重くて運べないため)に入っていたハスを更に株分けた為 蓮に嫌な想いさせてさせちゃって今年は咲かないかも…なんて思いつつ待っていたら、思いの外たくさんの蕾が出てきてくれている。
今季初開花した日は 数年大切に想ってきた水曜ヨガ部の解散の翌朝。なんだか清々しく晴々しく そして初々しく 開花を眺めた。
以前の住処は道下にあり 通りがかる人が(といっても田舎の さらに山に向かう道なので限られるが…)蓮の開花時期には 車を少し停めて見たりもしていたが、今回の住処は道上になったため 道を通りががっても見えなくなった(さらに こちらの方が山の中で通りがからなくなったし…)
道上に来れる何かを持っていないと見れないと思うと貴重さが増すが、そもそも誰かではなく すべてに向けて咲き誇っている蓮に祝福を捧げるも 長い日々をつぼみで過ごし たった1、2日で花びらを散らしてしまう潔い優美な様。そこにさらに魅了されてしまう。

11年住ませてもらった場所を離れ 引っ越した。もちろん山羊も烏骨鶏も猫たちもみんな一緒に。
古家から古家へ。11年住んだ家も改装と瓦礫の片づけから始まったけれど…
4月に引っ越し先が決まっていなかったのに、5月7日午前に契約して、その午後には天井と床が剥がし ある意味、深部が身包み剥がされ 会った初日に熱烈に求め合うような愛が始まってしまった。笑。改装が始まり 10日後には拠点を今の新居に移し 改装と引っ越し だけなら余裕だが、裏山の放置されすぎた薮を開拓、さらに 夏野菜を植える場所の確保と田んぼ までやりきって 5-6月はとにかく自分たちのために時間を費やし、働き動いた。お陰で身体が少し締まって体幹もきたわれた。疲れることなく前より一層健やかだ。いいことしか起こっていない。
手放したこともあるので7月は挨拶回りで いろんなことから本当の意味で解放されるのは8月かもしれない。が、とにかく引っ越してよかった。新居に巡り合えたことも ここまでの流れも 自分たちの意思とは別次元で とても大きな揺るぎない力が働いてここに連れてきてもらったとしか言いようのない出来事だった。
出来だけ 執着と所有から離れてここにきたら 桃源郷とも楽園とも思える美しいところで 毎日が滋養溢れて 私以外の創造されて生きているものに 生かされて生きて 喜び溢れて 五感全てが愛でられて愛でてを繰り返す毎日だ。現代社会では煙たがられる 暑い日も雨の日も雑草も 虫たちも全てが必要不可欠で この世にある。ことが身に染みてよくわかる。
ことほぐ。とゆう響きがとても美しいなぁと思っていて いつか誰かにどこかに向けて使える時が来たらと思っていた。
ことほぐ。を 本来の完璧なものすべてに捧げたい。

醤油を仕込んでから、あれ、もう1ヶ月…最後の冬籠り期間を楽しんでいた、のかもしれない。し、春を待ち侘びていた、のかもしれない。
冬から春の陽気になって、寒さからの緊張から解き放たれつつある心身が、太陽や土を欲し、内側から突き動かされる感覚が鋭くなってくる。烏骨鶏たちも急に卵を産み始め、抱卵真っ最中。猫だって山羊だって、ひだまりにでて ただ太陽と戯れ、春風を掛け布団にごろごろしている。下手したら、年中同じサイクルで暮らし、 (睡眠時間だっ夏冬は違うくて当たり前なのに) 時間と概念に取り囲まれて生きている人間にとって、彼らの営みがいかに、魂に従順に、そして大切な時間を過ごしているか、無理していない分、素直にふうわりと伝わってくる。猫たち、鳥たち、ヤギたち、そして微生物たち、草木たち、一緒にいてくれてありがとう。でしかない。息ができることも筆頭に、人間だけ。で幸福な形。はありえない。
春から、長女のお弁当作り(本人がやる気がでればいいと思う)が始まり、面倒だろうなと思っていた。美味しいお弁当を作る、とゆうことよりも、思いの外、早起きもでき小さな箱にいかに詰めるか。とゆうところに面白さがあることに気づく。どうやら、空間を整理する、のが、(うまいかは別として) 小さくても大きくても、それが結構心地よいのだ。
空間。/から の ま/ 詰めるうめることに囚われないでいると、空のままであることで、豊潤が満たすこともあるだろう。お弁当が、不意打ちで空でも、ちょっと面白い、かもしれない…