
冷蔵庫を持たない(冷蔵庫の音とデザインが好きじゃないし)ので、鮮度が必要なものを、そもそも買いだめしない(できない!)のだが、ありがたいことに頂き物など重なるときがある。そんな時は、どうやって保存しようか、考えるのが結構面白い。今週は、猪肉と豆腐がお題。猪肉は塩漬けで熟成、野外の冷気で保管。豆腐は、硬めのお豆腐だったので、塩をすり込んでさらに水切りして、オイル漬け。ニンニクや唐辛子、胡椒も入れて、秋に絞っておいたカボス酢も入れると、ちょっとチーズ風味で美味しい。保存、乾物。万歳。

冷蔵庫を持たない(冷蔵庫の音とデザインが好きじゃないし)ので、鮮度が必要なものを、そもそも買いだめしない(できない!)のだが、ありがたいことに頂き物など重なるときがある。そんな時は、どうやって保存しようか、考えるのが結構面白い。今週は、猪肉と豆腐がお題。猪肉は塩漬けで熟成、野外の冷気で保管。豆腐は、硬めのお豆腐だったので、塩をすり込んでさらに水切りして、オイル漬け。ニンニクや唐辛子、胡椒も入れて、秋に絞っておいたカボス酢も入れると、ちょっとチーズ風味で美味しい。保存、乾物。万歳。

いただいていたちょっと厚めの黒のリネン生地。で、作った(もちろん足踏みミシンで!)太めの、たるっとゆるっとパンツ。譲ってくれた方は、エプロンにしようと思ったけど、厚めで重たいから使わなかった、とゆう理由で譲ってくれたのだけど、その重たさ、が、たるっとした表情を見せてくれて、私好みのゆるっと、脱力パンツになってくれた。長さも市販のでは、いつもちょっと短いのが気になるけど、自作するとサイズ感もいい。作るって、気分もいいし、何より使っていていつも気分がいい。

昔から、子供の名前といえば、太郎に花子。犬はポチ。猫といえばタマ。ゴキブリといえばキャンディちゃん(うちでは、ゴキブリとゆう響きが嫌なんじゃ?とゆうことで、キャンディちゃん。と呼んでいる)で。カラスといえば、カー子でしょう。山羊や烏骨鶏たちに残り飯や、野菜クズもろもろあげるので、空から狙ってくるカラスたち。無鉄砲に餌を探しにいくより、まずは川嵜家見てから考えよう、とゆう主婦的発想は素晴らしく、ご飯だけならどうぞどうぞと思うけれど、生まれてきたひよこ達も狙われるので、そこはご遠慮願いたい。年末産まれていた4羽も、ペロリ持って行かれてしまった…。これも自然界の循環なんだろうけれど…‥わかっちゃいるけど本心からは納得できない。なので。どこからかやってきたこのカー子!で、人間はおバカにも!プラスチックバレバレのカー子で頭の良いカラスに立ち向かうのであります。

寂心さんの樟木。さん、は熊本城から車で20分ほど北側のあたりに、おおよそ800年も住んでいる。1人暮らしなのに、大所帯のような佇まい。1本なのに森である。私は43年生きて、10回ちょっとも引っ越しているのに、800年、ずっと同じ場所。動かないものがあるから動いたものがわかるのか!ずっと同じ場所にいながら、周りがどんどん変化していったであろう、映像を早送りするように変わっていったこの100年、かもしれない。ウエスト13m、身長29mと安定の体型になるまで、人々の暮らしをずっと隣で観察してきた樟木さん。目を瞑って、樟木さんの小さな頃の環境ってこんなかな。って想像しながら、はるか過去に旅して、それから、目を開けて真っ直ぐ目の前にいる800歳。どんどん新芽を出して枝も伸ばし続けている姿、感じとれる聡明さが、言葉にできない私の大切な感覚になった。物質ではない、自分の糧になる時間や、感覚。過去と今と未来を含む大きな存在として、生きているだけでお互い、許されていた。ような気がする。会いに行ってとても良かった。

キャンドルナイト。ではなくて。時々ろうそくがちゃんとつくか点検しておく。減ってたらの残りを溶かしてひとつにまとめたり、芯を新しくしたり。小さな灯りだけど、これだけでも集まると結構暖かい。今日は日中に、点検して、全部灯したけど、炎。はやっぱり綺麗。そんなこと、とか、そんなものって思ってても、いざとゆう時、心の支えになるものはきっと、普通のこと。だと思う。普通の上等ではなくて、普通が上等。

根昆布。食べ応えがあって好み。今日のはねじねじ根昆布。なんだこのねじれ。めっちゃ素敵。昆布も海苔も、海藻も、魚だって、いつまで私たちは、いただくことができるのだろうか。こんなに美味しいから、続いていくであろう未来の人にも味わってほしい……。毎日少しづつ、昆布も海藻も、当たり前のようにいただける恩恵が、最高の設備/自然/と最高の運営/微生物や太陽/によって、奇跡の産物が産まれていることに最大の敬意をはらわなくては。海に行ったらビーチクリーン!すごい量のゴミが落ちてるのでお忘れなく。

言葉にできないような幸福感。がある空間。珈琲を淹れて、足踏みミシンで修理したり、リメイクしたりしながら、山羊がゴソゴソしているのを目で愛でて、ツンツンしている烏骨鶏たちを、目で撫でる。膝の上には猫がいて、足踏みだから、よいよいと動いても、なんのその。ぐっすり眠って、おかげさまで、こちらはぬくぬく。これからも、この空間のような場所でいられる時間が、生きている時間の中で積み重なるように、暮らしてゆきたい。=収入がない=外に出ていけない=家でゆっくりするしかない……!いいわ。それ。

もつれた糸をほどいていくのは難しい、いや、時間がかかる、いや、1番エネルギーを使うのは、ほどくぞ、とゆう意気込み気合い。かもしれない。もしくは、意識を維持できるかどうか。かもしれない。もつれたまま、もう面倒くさい、と放り投げてしまったらそのままゴミ箱へ、どこかで誰かが無かったことにしてくれる。もしくは。もし、意識を維持できて、ほどくことができたら、その糸が再び他のものに生まれ変わっていくことができるかもしれない。選択するとゆうのは、見えないこと、想像しうること、と、見えること、の重なり合いなのかな。
なんて、思ってる、ぐちゃぐちゃにもつれた自分。

自家製小ぶりの黒大豆。華奢で艶やかでとても美しい黒大豆ちゃん。どうしてもこの品種が良かったわけじゃなくて、/友達がずいぶん前に買ってたけど忘れてたから、烏骨鶏たちのご飯にあげて/、ともらった、黒大豆、を、烏骨鶏にあげないで、土に蒔いてみたら、とても強く、たくさん種をつけてくれるので、継いでもう10年近く。豆餅の準備でフライパンで炒ったら、毎回、思うこと。真っ黒な無口な大豆たちが、皮が弾けて笑い始める感じが、なんとも可愛らしくて仕方がない。笑う黒大豆。

鏡餅より餅座布団。
お正月だけじゃぁもったいない。冬の間中頻繁にいただきたい、お餅。今年は、餅米を余裕もって作れたので、玄米餅三昧。とても喜び深い。

無病息災を願って7日にいただく //七草粥// を今年もスーパーに出回る前、5日の今日いただく。とゆうのも。娘が、田舎ならではのアルバイト/七草のパック詰バイトに、去年に引き続き行ったので、最終日パック2つ持って帰宅。
スーパーに出回るとゆうことは、どこかで生産され、パック詰されて、市場にでて、そこからスーパーに。28日からすでにパック詰が始まり、年始3日くらいには、何千個ものパック出荷完了。
寒い中、年末年始働いていてくれる方がいて、多くの方が無病息災にあやかれるのである。
七草、煮込むより、薪ストーブの上で土鍋でじっくり粥になった/玄米粥/に、塩揉みして浅漬け風にのっけていただくのが1番美味しいと思う。本来理由あって7日にいただくけれど…先走り七草粥だけれど…鮮度がいいうちにいただくことで、無病息災にさらなる期待を願うのが、人間の欲望ってやつでしょうか。無病息災の前に、そもそもただすべきところがありそうです……。

2024のはじまり
目が覚めたら、お腹の上にも、背中にもぴったり、足元と股の間にも、ぬくぬくねこがいて、至福のお布団の中でゆるゆる時間…。このシチュエーションで、朝陽の光がすっと刺したら、さぞ気持ちよかろうねと思うけれど、、日当たりの悪いうちには、残念ながら光は見えなかった。ぼんやりと意識が鮮明になってきて、あ、そうか、年が明けて、2024年か。初夢見たのかな。私…。
……思い出せない。熟睡、とゆうのか、爆睡とゆうのか。安眠とゆうのか。思い出せない。
そんなことを思いながら、昨日。からの今日。12月31日から1月1日。2023年。からの2024年。時間が積み重なることで、昨日が今日になって、31日が1日になって、2023年が2024年になった。寝る時と起きた自分は同じ空間にいたのに、私の認識が変わった。とゆうことを考えた。
時間とゆう概念は、うんも言わさぬ強制力が強い。先日、ロードオブザリングを見直したんだけど、その中で、/明けの明星、東の空をみよ/とゆう言葉があって、なんかいいなぁと思った。明けの明朝。は早朝なんだけど、時間ではなく、現象で時間を伝えているところが、なんて、豊かなんだろうと。陽が登って陽が沈んだら、今日ではなく別の日がくる。別の日=明日になったら、また陽が登って陽が沈んで、また今日じゃない別の日になる。現象の積み重ねが時間であり、認識なんだ…。
今年も小さな目の前の景色も、壮大な景色も、いきとしいける生き物たちの美しさを、みていきたい。

動物は心地よい。を見つける天才。ほんのちょっとの時間だけ、朝陽がさすこの場所も、光と温度が心地よいことを知っていて、だいたいどの猫かがここに、座るか寝転ぶかして、いい顔してる。
人間以外の生き物たちば、嫌だなぁとか、頑張って、とか、精神的に自己犠牲を持ってまで成してることって少ない(…ないのではないか)と思う。だから、自分に嘘つかず無理せず穏やかで乱れないのかな。体は動けても心が拒絶している状態で動いても、効率的にも、生産性も、ましてや、心なんて伝えられないわけで。ただ、見返り。があると動くのが人間。そこに惑わされないでいると、見返りがなくても動く時もあれば、見返りがあっても動かない時もある。利害、とか、損得と呼ばれる世界から少しづつ、離れていくと、そこは精神の自由な世界へようこそ。思わぬことが、いわゆる、運がいい。とか、タイミングがいい。とか。起こるはずないやろってことが起こったりする。って世界に入っていくのだね。あー。今まで、なんて損したんだろう。愉快な日々は誰にでも平等にあってプライスレス。さぁ。栗拾いだ。

梅時期に、自家用に60キロほど梅仕事(梅干しやジャムもろもろ…)したのですが…やっと、梅干しを日光浴。干すことで、殺菌、旨み凝縮。と思ったら、夕立や、雨やで、しっかりお日様に干せない日々。家中、酸っぱい香です。干してる横から、娘/息子が食べてゆく〜。梅干しは、梅と塩。それから赤紫蘇のみのシンプルな材料で作れる保存食であり、抗菌食であり、薬でもあります。自家用にそんなにいらんやろ、くらい、仕込んでますが、いつか引越しして、種から育てても、成長の間もずっと食べられるように備蓄です。インドに住んでいた時も勿論持って行っていた(国内で旅に行く時も必須!)のですが、仲良しのネパール人に食べてもらったら、「おぉ!イムリーだ!」と。のちに、イムリーのもぎりたてをネパールの山道でかじったのですが、目が×バッテンになって、口がすぼまって、ぎゃー!唾液がじゅわーッと出る出る、な酸っぱい味でした。夏の暑い時に食べるといいって言ってたし、おそらく梅とも効能が似ているのでしょうね。干しあがっても、まだ以前に作ったものがあって、順番に出しているので、、また熟成されて、口に入るのはさて。何年後でしょうか。時をかける保存食仕込み。ですね。

9月5日。11時半頃。小雨ちゃんが出産。朝からそわそわしているので今日だなと気にかけていると、11時半頃いよいよの陣痛で座ってる。それまではうろうろするのもそっとしておいて、いよいよになって、お腹を撫でさせてもらった。今回は頭が出てくるまで時間がかかってる、手助けが必要か…頭をよぎるけど、きっと産める。小雨を信じることが私が今できることと、ひたすらお腹や尾骨をなでた、自分の自宅出産の時、助産師さんにしてもらって1番楽になったこと。1番穏やかに戻れたこと。である。
頭がでた!その先はもうヌルッと出てくるだけ。すぐに舐め始めて体液や膜をとってあげる。一瞬とも座ったり休憩せずに、自分のことは全く構わずに。産まれてきたその子は、もう次の瞬間、立とうと、踏ん張る。ふにゃりとよろける。立とうとする。よろける…立とうとする…その繰り返し何回かで、すっとバランスをとって立ち上がる。ふにゃふにゃと歩いてみる。転げる。またふにゃふにゃと立ち上がる。よろよろ歩く。その先に目指すもの。は、おっぱい。しかない。親もこっちだよーおっぱいこっちだよーってゆう鳴き声で教えてあげる。ここまで、30分から45分。立つまでは、30分。他の山羊も含め4回出産を見たけど、これ以上かかった子は、今生きていない。
本当に幸運なことに山羊の出産に、いつも立ち合えるんだけど、なるようにできている神秘。ちゃんとそこに生きているものは、そのエネルギーに引き寄せられるようになっている、こと。そこに圧倒されるばかりなんです。なるようにできている神秘、いわゆる自然であり、宇宙の巡りなんだろうけど。足し算しなくても、そのまま。で充分なこと。人の身体にも言えるなぁって。
猫、山羊、烏骨鶏から本当に大切なこと。を教えてもらうことばかりで、一緒に暮らしてくれて本当にありがとう。ただ。ただ。生きているだけでありがとう。今日もみんなを撫でさせてもらう。撫でてあげてるんじゃない。撫でさせてもらう。明日もその次も…その次も…。
神秘はさらに広がって。先日泣く泣く里子に出していた、小雨ちゃんのお母さん。の梅ちゃんも、別の場所で、なんと同じ日に出産したそう。時が満ちた日だったのだろう。きっと、人間の私たちがもう感じ取ることのできないすごいエネルギーが満ちた日なんだと感じている。

まき寿司親子のその後。たった1週間そこそこで、産まれた時の倍サイズ。目もぱっちり開いて、塞がっていた耳も開いてきて、耳も猫っぽく立ち上がってきた。猫らしい仕草も。まだ、四つん這いで歩いてはいないので、低ーーい四つん這いで、もそもそと動きます。それがまたかわいい。

猫、まき寿司は一体、何歳だろう、いや、何ヶ月だろう。野良猫だったはずで、ふらっとうちに来て、その日からどこにも行かないで、きゅんきゅんとなつこくいるもんだから、みんなが撫でて可愛がって、当たり前のように一緒に暮らす猫に。そしたらお腹が大きくなってきて、あれ、もしや妊婦なんじゃ……。きっとまだ身体も小さいし子供のような歳なんだけど、産みました。3匹。人間が心配することなんて微塵もなく。それはそれは立派に。
明け方、4時ごろ。長女13歳が「のんちゃん!産まれてる!」(長女の枕元で1匹)の声で始まったお産劇。一体何匹生まれてくるのかもわからず、産まれてきては、胎盤が出たか確認しながら、次の陣痛を待ち、の繰り返し、私は途中寝たりしながら、1番ずっと見守ったのは13歳でした。産まれても舐めないし、胎盤も食べないし、、(きっと精一杯だったのだろう)そこはちょっとだけ、あもさんが絡まる臍の緒切ったり、拭いてあげたり、胎盤は後で食べるかもと、置いておいたり、お手伝いして、全部産み終えて、ひとしきり眠って体力が回復したら、ちゃん舐めて、胎盤もたべて、おっぱいもあげて。するべきこと。しっかりして、すでにお母さんになったまーきーさん。見たことも聞いたこともないのに、本能でもう知ってるんだ。いつも、動物の出産は、宇宙の神秘:感動的。
そう思うと、私が13歳の頃。産まれると胎盤が出てくるなんて知らなかったし、生命の誕生にも、終わりにも出会ったのは、ここ数年。で、産まれて死んでの命の廻りを、理解したのも、やっと40過ぎて。
8月は私が20年一緒にいた猫ざらめが老衰して、飼ってる烏骨鶏を2羽絞めて食べて、とても可愛がっていた山羊2頭も里子に出して、その後の猫の出産。死と生を身近に感じた月でした。
もう10代で、その廻りを理解してるのかぁ。それを知ってたら、私の20代、違うものの見方してるかもな。1番大切なこと。を学ばずにきた43歳。死ぬまでに、人が学ぶべき大切なこと。間に合うかな。。
生後6日目。少しづつ目が開いてきた子猫たち。最初は耳も聞こえない、目も見えない。でも、お母さんの匂いを嗅ぎ分けて、おっぱいもちゃんと飲んで、すでに頭一個分大きくなってる。
命名 おこげ / おこわ / おはぎ
さて、どの子がどの名前でしょう。
まき寿司、まーきーから産まれた、おこげ、おこわ、おはぎ。米一家。今後が楽しみ。13歳の彼女のこれからの感性も楽しみ。

猫が4匹。になりました。数日前息子についてきた新入り、まきずしさん。まーきー。家に入ってきたその日からキュルキュルとすりすり自分をアピール。出ていく気配は微塵もなく、どっかり家猫に。後ろからの横たわる寝姿が/巻き寿司/にしか見えなくて、命名。巻き寿司。去年の暮れにきた、いなりくん。からの巻き寿司で、コンビ助六が誕生したわけです。思えばうちにいる動物、山羊、烏骨鶏、猫たち(手のひら2つ分サイズの亀も流されてきて、庭のどこかにいて、時々お目にかかれます)は、全員、飼えなくなったり、人間都合でさまよった生き物たち。この世とあの世のすきま。を彷徨うものたちが集まってくる蘇りの家。川嵜家。さて、次のゲストはどなたかな。

おすすめギフトしてくださって、一気に読み終えた「カヨと私」。ヤギのカヨと人間旬子さんのドキュメンタリー。
一緒に暮らし始めて、振り回されたり、幸せをもらったり、社会や環境の仕組みについて考えさせられたり、最も大きな命。の育み、の時間を共にさせてもらったり。
人間とヤギの壁をはるかに超えた(と、人間は思っている)感覚が、小豆島で暮らし始めた著者と、私の今と。重なる部分が多々。思った以上の繁殖力の強さに驚き、できた子山羊の去勢に悩む著者と心の葛藤や、言葉通じないけれど意思の疎通できた時の喜び。
山羊と暮らして、外から見ると、餌の確保や時間も取られて大変になっているよね。だけにしか見えないことも、当の本人たちは、今まで誰も教えてくれなかったことの学びでしかなく、とても愛おしい生き物であり、これほどの圧倒的美しさを、暮らしの中で体験させてくれ、ありがとうでしかないこと。
自分と同じような気持ちで、山羊と生きている人がいるんだ。ただ、それだけ、たったそれが知れて嬉しい本でした。

4月30日産まれ、春雨くん
山羊と暮らし始めて1年弱
4回全ての出産に立ち合いし私
宝くじが当たるより幸運だ
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毎年春恒例のヨモギオイルづくり。竹籠いっぱいの蓬の新芽と油を、土鍋に入れて、薪の火で低温じっくり煮出してオイルに抽出。透明から深緑になった色の綺麗なこと。植物を煮出す、よもぎオイル作りや、草木染めは、なんといっても、作業中の香り。がとても良いこと。が、実際にしている人にしか味わえない醍醐味。大切に1年間、私の心体、皮膚。髪の毛まで癒してくれます。