
積雪20ー25センチだろうか、数年前まで(はもっと積もっていた)毎年普通だったその景色も、今では、珍しい風景となり、寒い寒いと、数年前を思えば、本当はそうでもない寒さに一喜一憂している。一喜と言えば、写真のような美しい景色、と。この時期13時前にようやく、杉山の向こうから顔を出す太陽ゆえ、日中は薄暗いが、雪の反射で午前も明るいとゆうところくらいで、寒いのが苦手な私は、ちょっと嫌気もさし怒っている、、かもしれない。(垢ほどの器のわたし…)
先日息子が学校で借りてきた|ぼくの南極生活500日|を読んだが、めちゃくちゃ面白い内容で、自家用に買ってしまおうか、と思ってしまっている。カメラマンとして南極に滞在した著者の武田剛さんは、−20.30度を体感してしまうと、0度になると汗をかいて暑いと感じると書いていて、慣れってすごいもんだ、と感心してしまった。
そもそも、氷の厚さが2000−3000mあるので、高山病にもなるような低気圧で、かつ、寒い。とゆう極地。それでもって太陽が照らない、もしくは照りっぱなしの時間があるような場所で、働く人がいて、集団生活。寒いとか、日当たりがわるい、とか文句言ってる私のように、嫌気をさしたり、怒ったりなんてもちろんの事していられない、だろうし、そもそもそんな性分の人材は選抜されない。はずだ。(みんなの命を危険に晒すだろうし、おそらくすぐ死んでしまうだろう)
そんな本を読んだものだから、自分の至らなさが明快浮き彫りになって、なんだかそんなこともどうでもいいような気さえしてきた。自然摂理の中で、雪は降らなくてはいけないし、雪崩も起きなくてはならないのだ。それが起きなくなった世界、は今よりもっと、怒りたくなって(怒ることすらできない絶望的状況かもしれない)しまう要素が多くなってしまうのかもしれない。
雪が降って、虫や種の種が淘汰され、浸透水になり、海の肥やしになる。山では雪崩が起きて、現状維持できなくなった飽和状態が解放されて、新しい芽吹きがそこにおとづれて、動物たちの餌場になる。人間都合で不都合なこと、が、全てがそう感じているわけではないってことだ。暴力的かつ聡明な自然の摂理、必要で起こる地球全体の微調整こそが、私たちの儚く尊くも数多くの命を、奪うこともあれど、守ってくれている。
ぎしっ、ぎしっ。ぎゅぎゅっ。雪を足裏、特に前側に感じながら、月あかりでぼんやりと発光したように見える雪の中、白い息をまとい、行き着く先は歩いて数分、日常利用している温泉だ。急いで裸になって、どっぷーんと一気に湯の熱さを、冷えた体に染み渡らせたいが、心臓のこともちょっと気にして、じわーじわーっと、水面下に沈んでゆく、まるでゴジラが海に沈んでゆく時のように…。とろけテユク至福感よ…南極生活には、とてつもなく興味はあるが…私には到底無理だ。
と、ゆうか。誰にも誘われてもいない。。