
木。とゆう生き物は大体立体的に、胴体周り全体バランスよく枝を伸ばしてゆくことが多いと思う。メタボなんて気にせず成長し、近所迷惑なんぞお構いなしに伸びたいところへ伸びてゆく。
ま。まっとうな姿。だよなそれが。
フォボナッチだし!(先日息子が学校から借りてきていたキャサリン ジョンソンさんの伝記を読んだ。8?9?歳の頃に、自分で、その法則を見つけていたんだとか…)
が、うちに生えてきてしまった木たちは、敷地が狭いため…メタボを気にしつつ、片側には枝が伸びないように、うちの敷地を超えて成長しては、越えてしまったものには、ボキボキに折られて捨てられる刑(私はボキボキにはしない)が、待っている。
2年ほど様子を見てきたが、これ以上大きくなったら、ボキボキどころが、ボッコボッコにやられそうなので、腑に落ちない気持ちを、もんやり持ちつつ、ただ生きていたいだけの木、を、理由にならない理由で切りたくなかったが、結局伐採した。
伐採後、もちろん薪にはするつもりだったが、もしや、山羊が食べるかも。と、すでに新芽の準備を始めていた木の枝も、幹も、山羊の近くにひとまず置いておいたら、毎日、ショリっ。ショリっ。と音をたてて。下の歯しかない強い顎で、柔らかい皮と、新芽も好んで食べていた。柔らかいと言っても、下の歯だけで、いわば削り食い。これだけ見事に剥ぎ取れるのは、本当に器用ですごいと思う。
木に申し訳ない気持ちがいっぱいありながら、5、6m、幹は20センチほどを、手のこでズーハーズーハーと、音をたてて、さばいていったが、山羊が食べてくれて、なんだか心救われた。報われた、とゆうほうが加害者なのに被害者になれるのか…。
友人が言っていた。生き物たちは、ごはんとして食べて、自然に還りやすい状態=うんことして出してくれて、還りやすいだけではなく、他の栄養にもなるんだから、本当にすごいって。確かに、生きているだけでサスティナブルかつ、食べて出して、死んでのサーキュラーエコノミー。かつてからあって、最先端がすぐここに。