
思い返せば、中学2年生の時だったか…美術の時間に教科書や資料の中から模写をするとゆう時間があって、迷わずダリ。の絵を真似してみた。クラブ活動の時間に美術を選択し(その時の美術の先生が、奇しくも惹かれていたし)またまた、大きな絵を数人で共同で描くとゆう時も、みんなを説得して、ダリ。をまねた(奇妙な、見る人がみたら気持ち悪い絵だった、が、私がなんて素敵なの、と思っていた)
説明できないような世界観と面白さ、気持ち悪さと、独創性を兼ねた、ダリの作品が、その当時から、興味があった、のだと思う。
20代前半、関西に住んでいた時にも数回、ダリ展に1人で足を運び、なんだかよくわからない充実感と妄想と、頭の中の現実が、うにょうにょとマーブル模様になる感覚を楽しんだ。そして、先日、久しぶり大分で開催されていたダリ展へ。
私がダリ。をはじめて意識したのと同じ年頃の長女に行きたいかと聞いてみたら、面白そうだから行く、とゆうので、学芸員さんが説明をしてくれる日と時間を合わせて行ってみた。
学芸員さんのガイド付きって、どんな感じなのだろうと、期待して期待せず行ってみたものの、思っていた以上のお客さんが、その時間に集まっており、驚いた。
時代背景や、説明を入れてくれたおかげで、自分だけで見る好きか嫌いかの視点、とはまた違った見方ができたり、交友のあったピカソの犬が、展示物のフランスパンを食べちゃった話、にプププとなったり、シュルレアリスムの背景、思想も少し理解が深まった。
超現実主義/シュルレアリスム とゆうと、真っ向見える世界だけの話っぽいが、そこをも含めてさまざまな重なりこそが現実であるとゆう意味なのか…精神世界、潜在意識こそが、現実に見え隠れしていて、そこも現実であるとゆう。
フロイトの影響も大きく、絵画、作品、とゆう目に見える形となって、存在と、空の融合がシュルレアリスム、と、とらえた。シュルレアリスムのことを、今更理解して、ダリ(シュルレアリスム協会からは、除名?されたらしいが)に惹かれていた理由が腑に落ちた気がした。
探求しているわけではないが、どうやら私の人生は、小さな頃から見えない何かにとらわれていて、奇人変人な子供だったし、自然崇拝が絶対のような確信もあったり、突然舞い降りた虚無、とゆう言葉。不思議と導かれたヨガと、既にこの道が、じわーっと前に広がっていたようだ。
ちょっと悲観的にもなりがちな現実や、興味だけでは曖昧な誠実度合い、現実では確信つかない潜在意識からの誘惑。そこを、ダリのようにユーモラスに自分自身を表現。できたら、なんと素敵なのだろう。