
先日、と言っても、すでに1ヶ月も前の6月だったか…湯布院で開催された映画祭で、1番気になったこのドキュメンタリーを観てきた。たった40年ほど前。のことだと思うには、異次元すぎるし、私が子供のころだから、新潟と香川で、時代を一緒に重ねていたのだと思うと驚愕すぎることで、これほどまでに自然と共に生きてきたのが人類なのか、と軽い衝撃と深い興奮を感じながらの濃密な時間となった。奥三面で生きた人々が体験した、その人たちにしかわからない感情の交差点があって、そこを、ただ映像を観ただけで理解した、とゆうには、真っ向おこがましいのだが、私自身、3年前に観てもきっとわからなかったこと、だが、今。だから、理解できたこともあると思う。10年後観たら、もっと深まることもあれば、全く理解ができないこともあるのかもしれない。生きるってトライ&エラーの積み重ねでしかなくて、いわばいかに、充実して消費していくか、マイナスにもプラスにもとれるような感覚こそが人らしいのかな、どうゆうふうに生きたいかより、死ねる自由の思想、や環境、を手に入れた時に、やっと生きる自由が沸々と湧いてくるような気がしていて、それって、物質でも測れないし、誰かがジャッジするものでもない気がしている。全てを誰かや何かに捧げながら生き死んでいった人もいれば、自分が必要以上の空間や物質、人の心までを抑圧占領して生き死んでいった人もいるわけで、やはり図れない。量れない。測れない。ハカルことがそもそも可笑しいか。奥三面の人々の暮らしは、自然と共に生きる、これ以上ない究極の美しさ、きびしさ、の中にいたと感じたが(羨ましいでしかなかった)、ダム建設で沈んでしまうことがわかってからこそが、村の死。集落の死。とゆう方向性となって、そこからもっと、人々は感情が揺さぶられ、自然に感謝し、命に感謝し、その場所での時間。を何よりも崇めたのではないか。そんなことを思い巡らせながら……わかりもしない生きる。ってことを考えてみた。。のだな。奥三面の人々の生きた奇跡と記憶に、触れさせてもらって、強烈な感覚が、うちなる私に誕生して、産声をあげた。とゆうのも言い過ぎではないくらい素晴らしい映像だった。