
背負子に密かに憧れていた
瑞々しく生々しく 魂を世界に露出し交わりまくっている|服部文祥|さんが愛犬ナツを迎え入れる時 背負子背負って北海道に飛行機で行き 仔犬をその背負子に ひょいと入れて帰ってきたとゆう話が本に書かれてあって 私は…私はしびれてしまった!
飛行機に背負子+背負子に仔犬=背負子はなんでも入る入れ物だったー このまさかの?あるいは当然の!背負子は入れ物の概念 スーツケースともキャリーケースとも同じ仲間なのだ 山で使うもの的なつまらない私の固定観念がぐにゃぐにゃにこねられてしまった
そしてついに最近 片面つまりは背中側がまっすぐ編まれた円筒の竹籠がどこからかやってきてくれて うんと前に織り機で織って作っていた紐を取り付けて 私だけの背負子が暮らしの仲間になった
子供たちにかっこえーやろーっ(るんっ)と背負って見せても しらっとした反応で(またバカっぽいことやってるなくらいにしか思われてないのだろうが)当の本人はうきうきで アナーキーな世界にいつでも旅立てると思うような自由さを 背中に羽でもはえたような気分で背負っていたのに…
ふわっと時間ができた時 気持ちが向いた時 サクッと背負って手鋸片手に山をうろうろ あっとゆうまに籠はいっぱい 手鋸と反対の手にも長めの枝が抱え込まれて戻ってくる
重たくなった背中と ちっとも人間に共感なんてしてくれない山の潔さのようなものが くだらない思考をいつの間にか取り去ってくれて 軽い体
重くなって軽くなった体 小さな私の重さの比重は変わったように思えるも そもそも その両方を最初から許容している大きな大地は全く変わらないわけで 子どもが私をみるように大地は私をしらーーっと(もしていない)みているのかもしれない
|ハイハイ自己責任で誰か何かに負担かけずに遊んで喜んでいるならいんでないの すきにしなよ|
子どもからのしらっにも大地からのしらーーーーっにも 実は許容されている何かを感じずにはいられなかった 優しさと都合良い方にとらえておこう 背負子おばちゃん出没注意!