
夏休み母子旅①直島帰省 のつづき。
直島から神戸に行く途中、長女のご希望で姫路城に行ってきた。
駐車場はお城まで歩いて10分弱の城近くの駐車場マップを見て大手門駐車場へ。歩いてゆくと、堀からのお城が見事に見える。お支払いは、機械でクレジットも電子マネーも使える。ので、楽ちん。靴を脱いで中に入ること、トイレが上の方にはないので、その点だけ気をつけると良いと思う。
5年ほどの時間をかけて改修された姫路城は、漆喰の白壁を着て堂々と建っていた。400年も前に作られたものが、改修や保護があるにしても、朽ちる美しさも輝かせつつ、今でも住めるくらいに現役であることが、想像を超える凄さだった。
地上6階地下1階を支える 東の柱と西の柱。機械もない時代に、人力手業で、25m近くある1本の大木を運んで立てたことは、脅威だ。現代より、きっと江戸、さらには縄文人の方がはるかに身体能力が高かったのであろうが、それにしても。だ。圧巻。
てっぺんまで登ってしまうと、姫路が一望できる。姫路市民なら、あそこが何々学校で、その隣がとゆうふうに見慣れた景色に思いを馳せるのかもしれないが、全く知らない土地ゆえに、想像に及ばないが、数百年前にタイムスリップした気持ちで風をまとってみた。
こどもたちにも 同じように、その時代だったらどんな感じだったかな、と聞いてみると、絶対もっと景色がいいし、空気が今より澄んでていて綺麗に見えるのでは、とゆう意見。確かに。今よりもっと、セピアに近い街並みで、緑の木々がもっとあったのあかな、と、想像してみた。
城内で教えてもらった石垣の石刻も見てきた。私たちが見たのは一箇所だが、調べてみると→姫路城の石垣石刻のいろいろ ←こんなにたくさんあったらしい。その意図とは。が、実際わからないらしいが、自然崇拝や、アミニズム的なもの、鬼門。のような見えないものからの災いも 大きく、暮らしに作用していたのでは、とゆう意見もあるそうだ。
和歌山城にもたくさんあったのを見たことがあったので、その土地だけではなく、そもそも、にっぽん人はそうだった、のだろう。
模様をみると、納得できるものもあって、アイヌの人たちが刺繍をする。おべべの背中の裏に無事を祈って刺繍をする、それに近い想い。を刻み込んだのなら、なんて、粋で素敵なのだろうと思う。人力で運んで積み上げる時代は、石集めもとても大変だったようで、自分の使っていた石臼を寄贈して、お殿様のお役に立った人もいるらしい。
姫路城の脇役であり、主役と言っても過言ではない、使用人の部屋、百間廊下。ながーーーい廊下に併設されたお部屋。そこに支えていた女たちが住んでいたそうな。それもまた立派な木で作られており、簡素ながら究極の美的空間が広がっていて、こどもたちは、いいなーいいなー両面合わせで窓もあるし、風も通って涼しいはずだし、いいなー、部屋が無理なら廊下でもいいなーと。|笑。もらえないし、いくら払っても住むことも絶対できないよ|
久しぶりに再訪できたこと、とてもよかった。やはり、時代を重ねることでしか出せない風格と風情。今では考えられないくらい贅沢な材でできた 今もなお、健存する建築物は美しい。実際に行ってみないとわからない、時間の重さ。が感じられる。たくさんの時間の重さが、至る所に鎮圧していて、長女が切望している京都。にも早く連れて行ってあげたい。

