
今年は9月29日からぼちぼち始めた稲刈り。もちろん、手刈りでざくざく。根元しっかり自分の目で観れる手刈りです。手刈りといっても、雨も挟んだり、熟れるところをまったりで、全て刈り終えたのは、あしかけ2週間ほどですが、刈取だけで見ると一反半なので、実働4日あれば刈り取れます。刈り始めた頃はまだ陽射しが強く、じとっと汗をかくほど暑かったのに、脱穀が終わる頃には鼻に入る空気がツーンとするほど冷え込んで、季節の変わり目の緊張感、凛とした空気がとても気持ちよく作業できました。今年は、分けつが少ないところがあったのと、最後の最後の草取りを、そんなにないしもういいかな、とサボったツケが、稲の足元の稗に繋がって、刈る時の仕分けに時間を取られてしまいました。草取り、やっぱり大切。手刈りだからこそ、最後まで選別できる良さもあるけれど、、来年は、初心忘れず改めてやらなくては。今年はスーパーウーマンがお手伝いに来てくれて、素晴らしく手際良く終えた稲刈りでした(ありがとう!山神様)収穫できる喜びと、案外楽しい刈り取り作業が終わってしまう虚しさ。たわわに黄金色だった場所がぽっかり空虚になっていく感覚。毎年不思議な気持ちで、今年も稲作させてもらってありがとう、ありがとう。ありがとう。べっちゃり土がついても、手のひらの皮膚が乾燥してしょぼしょぼになっても、そんなこと、何にも気にならないくらい、体を動かせば動かすほど満たされる時間を過ごせたこと。やっぱり、ありがとう。だけ。田舎の人が田んぼをして、米を作っているのですが、作り手が減っていって、今やっている人たちはたくさんの田んぼを抱えています。が。その田舎の作っているじーちゃん、ばーちゃんはもう体力的に限界です。できなくなると、抱えてた大きな面積を作れなくなります。じゃぁ、これから誰が米を作っていくのか。日本の大きな課題…今から課題にするには遅すぎる課題だなぁ、と、感じています。お金はそのまま食べられないけど、お米はお金に代えなくても食べられる。ただ。それだけ。