
|モモ|を読みました。時間を奪われた、とゆうより、自分で選択して時間を失っている人間とそこに心を動かされない少女の物語なのですが、18歳の時、クラスメイトに面白いからとおすすめされて以来、読みたいなぁと思い続けて23年も経ってしまっている、その時間の経過が、まさにこの本が現実にありうることを思いつつ、今の機会に読めたことはとっても大きな気づきとともに、もやーっと言葉にも頭にも考えていなかったけれど、感覚的に理解し始めていたことを、ちゃんと整理することになりました。
|お金|の貯蓄ではなく|時間|の貯蓄について考えます。
現世界でほとんどの人が時間を費やしていること、睡眠の他に、きっとお仕事。だと思うのですが、それはなぜなのでしょう。いろいろな目的があるとは思いますが、大半はお金のため暮らすためだと思うのですが、目的がどうであれ、お金を稼ぐことも、そこに時間を費やすことも悪いことではなく、その使い道。が、働いて時間を費やしたことが、時間を消費したのか、それとも時間をさらに貯蓄したのか。に変わるのだなと考えました。
|時間の貯蓄|といってもみえないので、言葉を変えてみると。
例えば、農家さん。は時間を費やして食べ物を作って、お金にも変えつつ、今日の明日の、もしくはいつかの自分の食料:原料も作っているので、いつかの食料分の時間貯蓄をしたことになります。
昔の暮らしが全てではないのですが、昔は毎日費やしていた時間はまたいつかに使えるものとなる食べ物が便になり肥料になり土になりまた食物へ、薪に灰になり土になり、結局いつかは巡り巡って還ってくる、いわゆる循環の中で、時間を使いながらも時間も貯蓄しているような感じに受け取れました。
一方、今の暮らしは毎日費やしている時間をお金に変えて、そのお金の返還されたものは、ほとんどが消費してなくなってしまうもの、もしくはまだあってもすぐに代替えされてしまうもの。になるので、結果、時間を消費しっぱなし。になるので、時間がいつも足りない状態。
我が家はガソリン以外の化石燃料はできるだけ使わず、基本は薪で暮らしていているので、5歳の息子は、薪集め、薪割り、そして、薪で熱にする手間暇、もちろんそれより大きな楽しみがあることも理解しているようで、たまに使うガスを|セコセコガス|と呼びます。最初、セコセコ?と意味がわからなかったのでセコセコって何?と聞くと|セコセコってせこいってこと。お金では買わないといけないけど、使いたい時に直接的には体を使わず、ラクして使えるってゆう意味でセコセコやん|と。なるほど。
うちでは、上のように、労力で時間とお金を貯蓄していて、楽したい時はお金を使ってガスにすると労力時間は減り、時間の貯蓄を増やします。
|time is money 時は金なり|
って時間はお金ほど大切だよ。とゆう意味解釈していましたが、実は少しちがっていてhe is jony 彼はジョニーだ。ジョニーは彼のことだし、彼はジョニーで、彼でもありジョニーでもある。
お金は見えて、時間は見えないので、時間を貯蓄しているかどうかは自分自身の感覚であり、暮らしの中での自分の選択によって増やすことも減らすことも、可能ってわけです。
時間の貯蓄。過ぎていくから浪費でもなくて、過ぎて行かなくても貯蓄ではないとゆう
まるで迷路の中をぐるぐる回っているように本を読んでいましたが、読み終えるとちゃんとその迷路の道がはっきり見えるようになって、なんだ。複雑じゃなかったんだ。迷路に入ったと思い込んでいる自分が右左に回り道をさせていただけで、まっすぐ行けば出口だったんだ、とゆうような気持ちで23年分の時間を貯蓄しました。