烏骨鶏を殺めた私

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先日、烏骨鶏を1人で絞めました。

先日ある方にヴェジタリアンですか?と聞かれたので、いいえ。と答えました。

数ヶ月に一度くらいはお肉を買うことがあります。外食や用意してくれたものでお肉やお魚があれば勿論いただきます。し、おうどんだって大好き。出汁にたっぷり使われた鰹出汁がやっぱり美味しいと思います。ので、私はヴェジタリアンではありません。

が、なぜ、私はかわいいかわいい庭で暮らしている烏骨鶏、名前までつけてかわいがっている<こじゃくん>を絞めなければならなかったのでしょう。

小国町に引っ越してきた5年前は卵も2ヶ月に一度買うか買わないかだったのですが、3年前?2年前?にひょんなことから烏骨鶏を譲ってもらい、鶏とのくらしが始まりました。

せっかく産んでくれた卵だし、取らなければどんどん孵化して増え続けてしまうので、卵をちょいちょいいただくようになりました。それでも烏骨鶏たちは 卵をひよこにするのが本当に上手であっちゅうまに増えて オスが多くなってきたのです。1年半前くらいから食べなければ、バランスとらなければ、と思いつつ踏み出せなかった一歩。シメル。

毎日毎日観察しました。本当に増え続けることで、彼らのバランスがおかしくなるのか。

夜は小屋に入るものの、日中はかなり自由に柵がなく動けて 草も虫も食べて お天気の日には砂浴して。一見自然。ですが、もし夜小屋がなかったら、守ってなかったら、、やっぱりほぼ全滅な、限りなく自然に近い状態なだけで、人間の飼育下にはあるわけです。

そして、本来なら親世代子世代と 分郡していくはずの群れがずっとひとつにあることで、血の近い交配、孵化中に座っているところに本来ならボスオスは行かないのですが、若僧はここぞとばかりに交尾しにいってしまう動物的本能

近くでみればみるほど 不自然なことで  ずっとずっと迷ってきた悩んできたシメル。を稲刈りが終わって お天気でちょうどお隣さんも留守中に決行しました。

何にも悪くないに 足首くくって逆さずりにして、 生きたまま首を切って 毛をむしって。

生暖かい血。うつろになってゆく目。硬直してゆく体。

あなたは私に殺められるために生きていたのではなく生を全うする為に生きてきたはずであり、私はあなたの命の上にあるのではない。共にあるはずだ。とゆうようなことを首を切りながら思ったきがする。きっと自分のことを正当化したかったのだと思うけれど。

彼の目には どう映ったのだろうか。毎日ご飯をくれたおばさんが ある日自分を逆さズリにしたことを。

人間ほとんどが自分の排泄物うんこだっておしっこだって自然には返さないし、魂の火が消えた肉体でこそ、自然に返すことはない、実にもらってばっかり。人間以外の生きているものたちは 肉体すべてを最後には自然に返していくことで、分解されていくことで、生かしてくれてありがとうと言えている気がしてならない。

また烏骨鶏を殺める日は きっとあって、すぐなのだが、その度のあの血の生暖かさは 私が死ぬ時まで背負っていく感覚になるはずだし、そうあるべきだと思う。

 

 

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