稲をみる。遅れて小さな苗だったのに、しっかり大きくなって実もたくさん。
すごい生命力で、涙がでる美しさ。
稲を収穫することだけが目的になると、お金を稼ぐことだけが目的になるのと同じかもしれない。
稲を育てる、稲の声をきく、稲から教わる、稲から感じる考える、稲から伝わるいろいろ。稲と共に過ごす時間がもてたことだけでも幸運な私。
副産物が米であり、目的が米ではない。
逃げのようだけれど、目的でないから、気持ちもちょっと楽でもあり、でも真面目には取り組むので、副産物があるから二重お得でもある。
暮らしの中と思考が全てがそうゆうふうに、変化していっていることに気づく。
水と土と種。太陽に月。空気。
必要なものは、遠くにいると思っていたら、今は、今も、今までも、すぐそばなのかもしれない。
副産物 by product 英語にするとなんだかしっくり。
私は 自然の副産物として生き、死んでも微生物の餌になって全うしたいな。
だから土葬して土に還りたい。骨で埋めても大した役にはたてないし。
稲の藁も籾も、最後まで全うして生きていく続いていく。
種も続いていく。
終わりでない収穫、だけれども、もうすぐ収穫。