うねの時間を大切に想ってくださっている方々、いつもありがとうございます。
心の奥底から感謝しています。
数ヶ月考え悩み続けていた「よーがの料金」なのですが、この度少し改正させて頂くことにしました。
想いをつらつら書くと、きっと読むのが嫌になるくらい長くなってしまうのですが..気持ちを少し書かせてください。
私はyogaが好きです。とにかく地味に、淡々と自分1人で自分のペースで出来るのが、続けられる理由で、多くの繋がりと気づきがある、が数ある理由のうちで、1番好きな理由です。
マッサージを勉強した事もありました。誰かや機械に委ねるのは楽です。だけど誰かや機械がないとダメです。一時的にほぐれても日々の癖で、また身体は元どうり。自分さえいれば、淡々と毎日なり、日々に意識してyogaする方が効果があると感じました。
スピリチュアルな事や氣の事も少し勉強してみました。yogaやれば、自ずと感じられたり、気づいてくる事で、本では分からなかったことが、実体験として、受け入れられる心と感覚が養われてきました。
哲学の本も読んでみたりしました。おおよそはキリスト教の聖書、仏教、ヒンドゥー教など、宗教の教えに深く関連し、その要になる瞬間をyogaを地味に地味に続ける事で感じられたりる時があります。ぐちゃっとなった紐が解ける様な閃きです。
そして、サボるのも自分、続けるのも自分。どっちも許して、自分の内に落とし込んでゆくことで、様々な許しをえらました。
身体と向き合うことで、病気や食べ物など、様々な関係性を考え 経過と観察をする訓練ができました。
正直、出来ました、とゆう過去形は大間違えで、出来ていっています、常に現在進行形で、進化形が正しい言葉です。
と言っても、yogaをやっていても、なかなか超人にはなれませんし、死ぬまでやり続けても浄化はできません(私に限っては特に)し、やってもやっても、精進真っ只中です。
だけど、やっぱり何事にも変えられないものすごく大きな恩恵は得られます。
いろいろ巡ってはやっぱりyogaに戻ってくるのです。
その時間を人間が作った紙幣とゆう価値で位置付けするとゆう事は、考えれば考えるほど、無理なのかな、とも感じるくらいなのですが、ただ、安売りはしてはいけないな、と思う様になりました。
では何がどんだけで、安くて高いのか。
安くていいもの、安くて悪いもの 、高くていいもの、高くて悪いもの。すべて、紙幣⇄物や時間 と引き換えにする価値観は、その支払う人の心1つ。
yogaは1番は自分の為にあることに今更気づきました。だから、今の私がその時間に支払えて続けられる金額(本当はもっと価値あるものなので、紙幣は今はこれ内容はもっと!)を設定します。もしも、高いと感じて誰も来なくなっても、いいんです。自分の為にあるものだから。開き直っているわけではなくて、心底そう想ったのです。
必要であれば、紙幣と時間とを、私ではなくて、私が学ばせてもらった、先人達の智慧たちに引き換えてください。必要な時にうねを思い出して欲しい。
いつかのあなたへ必ず返ってくる時間をお届けします。
うねのよーが
120分ほど1回 3000円